2月3日、娘の中学受験が終わった。受験を終えた娘の気持ちは、「嬉しさ半分、悔しさ半分」といったところだろうか。
それでも母から見れば、娘が本気で高い壁を越えようと努力し続けてきた4年間だった。
本当によく頑張ったと思う。
活発でチャレンジ精神旺盛な娘に合うかもしれないと、4年生の時に初めて親子で女子学院中学校を訪れた。
自由な校風、そしてマグノリア祭で見た天文班の展示に娘はすっかり魅了された。
それ以来、女子学院は娘の揺るぎない第一志望校となった。
3年生で日能研に通い始めてから、塾の復習や宿題には娘が主体的に取り組んでいた。
親の役割は、育成テストや公開模試の結果を見て、復習のポイントや解き直す問題を示すこと。
我が家では、そのような学習スタイルを続けてきた。
6年生前半は、女子学院日特に入ることが目標だった。
しかし公開模試ではR4偏差値に届かないことも多く、なかなか偏差値65の壁を越えられなかった。
それでもなんとか女子学院日特に滑り込めたという状況だった。
娘はよくこう言っていた。「2月にJGに合格すればいい。絶対に入学して天文班に入る」
その言葉通り、娘は日々の勉強に真っ直ぐ向き合い続けた。
夏休み以降、模試の偏差値も少しずつ上がり、ようやく65の壁を越えることが増えてきた。
第2志望校は、雙葉中学校と吉祥女子中学校のどちらにするか親子で何度も迷った。
担任の先生にも相談を重ね、最後の決め手になったのは、読書が大好きな娘の「雙葉の国語は解いていてワクワクする」「雙葉の図書室で本を読みたい」という言葉だった。
こうして第2志望校は雙葉、第3志望校は浦和明の星中学校と決まった。
そして迎えた1月の埼玉入試。
最初の結果発表は、10日午後に受けた淑徳与野中学校(医進)。結果は数点足りず不合格。
初めて不合格を突きつけられた娘は、家族も先生も心配になるほど泣き崩れた。
今振り返れば、この不合格はその後の入試を戦ううえで必要な経験だったのだと思う。
何度も言われてきた「一点の重み」を、娘は身をもって知ることになったのだから。
その後、気持ちを立て直して再び受験した淑徳与野、そして浦和明の星で合格をいただくことができた。
特に浦和明の星は、通ってもよいと思っていた学校だったのでとても心強かった。
1月入試は良い形で終えることができた。それでも私は、娘の流したあの不合格の涙が頭から離れなかった。
もしまた同じ場面に直面したら―そう思うと、「2月の受験プランはこれで本当に大丈夫だろうか」と何度も自問した。
ある日の仕事帰り、会社近くの天満宮で一人、合格祈願をした。引いたおみくじは大吉。そこにはこう書かれていた。
「心をかたくもって一時の不運にあわてさわぎ思い迷ってはいけません。本業をよく守って静かに時の来るのを待ちなさい。開運うたがいありません」
私はこの言葉で腹をくくった。娘は志望校に向かって全力でチャレンジしているのだから、母は娘が万全の体調で最後まで戦えるよう支えよう。
そしてあっという間に2月の東京入試を迎えた。2月1日は雙葉、2月2日は女子学院。予定通り受験した。
2月2日の朝、女子学院に娘を送り届けた直後、午前8時に雙葉の結果を確認した。
夫から差し出されたピンク色の画面を見た瞬間、娘の夢の一つが叶ったのだと思い、涙があふれて止まらなかった。
そして翌日3日、女子学院の合格発表の日。
娘は「出願した学校は全部受ける」と言い、その日も別の学校を受験していた。
待機していた講堂で携帯電話を確認すると、表示された画面はグレーだった。
何度も親子で訪れた憧れの校舎で、娘は学ぶことができないのかと思うと、昨日とは違う涙があふれた。
試験後、娘に結果を伝えると、娘は必死に涙をこらえていた。
2月3日に受験した学校では、講堂で保護者向けの礼拝があった。
校長先生のお話の中で印象に残ったのが、「おかれた場所で咲きなさい」という言葉だった。
娘がおかれた場所は、あれほど憧れた女子学院ではなかった。
それでも、女子学院という高い壁に挑み続けた4年間の努力が、雙葉の合格につながったのだと思う。
娘には、雙葉で自分らしく新しい夢を見つけていってほしい。
娘に与えられた場所は、十分すぎるほど素晴らしい場所なのだから。
入試直後、「嬉しさ半分、悔しさ半分」という様子だった娘も、今は雙葉の制服が届くのを楽しみに待っている。
4年間、娘を励まし続けてくださった日能研の先生方には感謝の気持ちでいっぱいだ。
塾から帰ると楽しそうに授業の話をしてくれ、それを聞くのが私の楽しみでもあった。
親子ともども、本当にありがとうございました。
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