我が家では3人兄弟の長男の初受験となりました。
お尻をたたきまくって、しぶしぶ課題をやり、提出物の締切は基本的に守れない息子。
あと100日も本人には響かず、、、
日特は家から遠くて月曜日には体調不良となりがちだったため、11月はほぼ参加せずに
ほんとに大丈夫なのか?淡々と11月までが過ぎていきました。
12月に入り、母である私に病気がわかり、手術と入院が必要な事態となりました。
病気の進行が早く、様子を見る時間はない状態でした。
1月の埼玉入試の願書はすでに出し終えてからの病気の発覚。
何とか12月中に家に戻って息子の入試に備えたいと主治医の先生に頼み込みました。
これがきっかけで、
万が一、母の私が子供たちの成長を見届けられない事態になった時、
私立中学校にこだわることは幸せなのか?
本人の志望度の低い学校に通った場合、息子は楽しく悔い無く中高6年間を走り抜けられるか?
と、考えた時、
いわゆるすべり止めというポジションの併願校を受験することに疑問を感じました。
年末、家族会議の結果、
4年生から志望していた、2月2日の第一志望はかなりのチャレンジ難関男子校。ダメ元でいいから絶対受けたい!という本人の希望を尊重。
安心できる併願校なしで受験する。
2月1日には難関校と同じくらい志望していた第1.5志望の男子校を午前、
それよりレベルの高い第2志望の共学校を午後に受験。
ただし、条件として、2月1日に合格が取れなければ2月2日の難関校は諦めて、1日の第二志望共学校の第2回試験を受験すること、としました。
2月1日、緊張気味だったのと、今までで一番難しかったと、少ししょんぼりして午前は戻ってきました。
その後、開き直って、緊張することなく挑んだ午後。
何だか、めちゃできたと思う!明日は難関校受けられそう!といいながら帰路につきました。
そして運命の午前受験の発表の21時。
内心ダメだろうと、思う気持ちが捨てきれず、複雑な気持ちでパソコンの前へ。
「合格しました」
の画面が開いた瞬間、感動してみんなで泣きました。
そして、2日に難関校を受けるぞ!がんばる!といって、
午後入試の結果は明日の朝見る事にして就寝しました。
2日の朝、
午後入試の結果の「合格」も見て、
やる気満々で出発しました。
そして難関校では本人なりに全力で、答案用紙を埋められた!と非常に満足して帰ってきました。
翌日の合格発表,結果は、不合格
しかし、息子は悔しいけど、チャレンジだったし、全力を出しきれたから、しょうがないか
と、1日は合格できたし、やり切った!と。
たくさんの感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、希望に満ち溢れた中学校生活を迎えられることが幸せです。
ありがとうございました。
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