2025年2月2日に、娘は、第一志望校(鎌倉にある中堅の女子校)に合格しました。我が家にとっては快挙です。先生方、スタッフの皆様には多大なるサポートをいただきました。ありがとうございました。また、同じクラスの生徒さん達にもお世話になりました。
娘が中学受験をする事を決意したのは、2023年11月のことでした。我が家は当時私立中学進学へのこだわりはありませんでしたが、娘に選択の機会がないのは可愛いそうだと思い、一番近い私学(第一志望校)の説明会に参加しました。よほど娘にとって魅力的だったのでしょう。先生方の話を聞く娘の目はキラキラ輝いていました。すぐに受験することを決めて、日能研に入ることになりました。
最初の日能研全国公開模試のR4偏差値は35でした。得意だと思っていた国語は半分しか点が取れず、他の3科目も見たことのない問題に歯が立ちませんでした。答案用紙がとにかく白かった。第一志望校は中堅校ですので35では合格は望み薄です。クラス担任からは偏差値30代の学校を勧められました。(この中に第三志望となる気に入った学校がありました)今では笑えますが、大変なことになったと、内心、気が気ではありませんでした。
こんな始まりでしたが、娘は楽しく日能研に通っていました。一番下のクラスから一つ上にクラスアップもしました。ただ、栄冠が終わらなかったり、模試のふり返りもしなかったり、中々、家での学習は進みませんでした。春期講習の宿題も全部終わりませんでした。本人は分かっているのがいないのか、とても呑気なので、私が何回か爆発してしまいました。泣いたこともあります。本当は保護者は冷静に見守るべきだと分かっていたのですが、私以外の家族はみんなマイペースなので、何とかしたいとの一心でした。
娘が変わったのは夏期講習の後です。夏期講習の宿題を娘は提出期限までに提出しませんでした。私もつい娘のマイペースさに巻き込まれてしまい、この子の限界はここだと諦めてしまっていました。母親として恥ずかしい限りです。でも、日能研のクラス担任は違いました。出来たのに何故やってこなかったのだと娘を厳しく諭してくれました。ここが分岐点でした。娘は2週間遅れて100問以上ある算数の宿題を提出し、母に頼っていた丸つけを自分でするようになり、宿題は自分でやるから何も言わないでくれと宣言しました。そして2024年12月の合格判定模試はR4偏差値50になりました。
日能研は何よりも子どもの自立を大切にしていると思います。そして、一人一人子どもの可能性を信じて、声がけしてくれます。入試当日に向けて、これでもかと追い込んでくれます。娘は一年で立派に自立して、第一志望校の合格を勝ち取りました。今思うと勉強については母は何も力になれなかったと思います。お弁当を作る、送る迎えをするくらいです。分からない問題を一緒にやったこともありましたが、後半の娘の躍進を思うと母は何もせずに日能研と本人にお任せした方が完全に良かった。
娘の合格の要因は本人にあった学校を選択することが出来たということもあります。日能研のデータがとても役に立ちました。得意不得意がありますので、本人にとって試験の難易度は模試の偏差値のとおりというわけではありません。娘も偏差値としては下の2/1午前第二志望校は不合格でした。(2回目2/2午後に合格しました)試験との相性はとても重要です。また、校風、カリキュラムなど入ってからの生活が思い描けるわくわくする学校なのかも見極めが必要です。出来る限り子どもと説明会に行くこと、併願パターンを複数検討すること。ここは親の仕事だと思います。
娘は小学校に受験日前まで普通に通いました。そのせいか試験日の3週間前にインフルエンザにかかってしまいました。12月から長くお休みをする方もいますが、その方が体調管理はしやすいと思います。
こんな受験パターンもあるということをお伝えしたくて、投稿しました。ご参考になれば嬉しいです。
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