3年生2月、同じ建物内のガウディアから塾へ移り、4年生夏休みまでは国語・算数の2科のみ受講。入塾2〜3回目のテストでクラス落ちし、4年生3クラス編成の最下クラスからのスタートでした。スイミングを「4泳法マスターまで」と決めて続け、辞めたのは4年生9月。理社は大きく出遅れ、国語は問題文の「段落って何?」というレベルからの出発。母は何度も室長先生に「受験向いていないのでは」と泣きながら電話しました。
それでも志望校は4年生夏に早々と決定。生き物好きな本人は、湘南白百合の自然豊かな環境と、生徒主体で改装した休憩スペースに一目惚れ。家庭の信仰面からもカトリック校を志望し、他校も見学しましたが第一志望は揺らぎませんでした。
5年生9月、社会科が日本史単元に入り「授業で習ったお寺や仏像を見たい」と言い出し、母娘で奈良へ弾丸旅行。教科書片手に寺や仏像を巡り「ほんとに同じだ!」と感動。これを機に社会の点数が上がり、名入りノートをもらえる成績上位者に時々入るように。とはいえ湘南白百合の合格ラインには偏差値で10近く足りず、母は現実的な志望校変更も考え、本人も別のカトリック校に好感を持った時期もありました。
5年生後半になると生活のほぼ全てを受験中心に。現実の成績はさておき「趣味は勉強」の域に。修学旅行も「授業を休むなら行きたくない」と渋り、塾の担任の先生に説得されるほど。夏休みは徒歩3分の塾に朝から晩まで籠もり、母は週10〜12回お弁当を作り、夜は塾へ配達も。フルタイムワーカーの心身を削る夏休みでした。
このように昼夜とも弁当持参で、授業前後も自習室に居座る“住人”状態。迎えに行って自習室から剥がさないと帰ってこないので、毎日迎えに行くうちに、母も塾に「受験生のおともだち」がたくさんできました。
努力の成果か夏期講習ではクラス1位をキープ、2年以上かけて念願のA3クラスへ復帰したのでした。
6月に「生きものが好きなら」と山脇を勧めてくださったのはA2クラス時の担任の先生で、夏休み後にA3クラスへ上がったことで担任は(急に)室長先生に。4月に着任されたばかりです。
室長先生は客観的に、現実的な数字で「2月と10月の中間値」のエリアの学校を提案してくださるわけですが、A2の先生は入塾時から担任してくださっており、本人の性格も傾向もよくご存じです。面談は、大変申し訳ないですがA2の担任の先生へお願いするようになりました。本人も、長く担任してくださっている先生のほうが話しやすいようでした。
11月の模試会場は山脇を選び、学校見学ができたことで母娘ともにブッ刺さります。しかし本人の「持ち偏差値」ではあと少し届かず、「憧れ」「どこか合格できたらのチャレンジ校」に過ぎませんでした。
年末には夫のインフルで「追い込み計画」が崩れ、弟を夫実家に預けられず、仕方ないので母娘で近隣のカフェを巡って直前対策。各校の説明会で得た出題傾向を基に、会場に当日持参する「これだけはノート」を母が魂を削って作成。健康管理も徹底し、「進学レーダー」で拝見した先人の皆様のお知恵をもとに、いちごやマヌカハニーを毎日欠かさず摂りました。
1月校は2校に合格、気が緩みかけたところをA2、A3の担任2人で引き締めてくれました。
出願時は第一志望:湘南白百合、第二志望:横浜雙葉の予定でしたが、入試数日前に「過去問を解いていたら山脇の方が相性良かった」と、A2担任の先生へ緊急相談し作戦変更。1日目午前に山脇、午後に湘南白百合を受験。山脇まさかの合格、湘南白百合は不合格。
熱望する湘南白百合に2日目午前再挑戦し、午後は聖セシリアを受験。ここで受験票忘れ(両校)や上履き忘れ(聖セシリア)などハプニング続出。
教訓:受験票は多めに印刷して、各持ち物に分散させておくと良さそうです。(保護者も)
湘南白百合では教頭先生が受験票を印刷してくださり、母は午前の試験中に午後の聖セシリア用にスリッパを買いに走ります。結果、湘南白百合合格、聖セシリアは特待生合格を勝ち取りました。4年生から願い続けた第一志望合格に、これまで一度も弱音を吐かなかった本人が珍しく涙を見せ泣き笑い。
母 個人的には、1日目午前の山脇から午後の湘南白百合への移動が、小旅行みたいで楽しかったです。お店などでお昼をとる時間も惜しいので、品川から大船まで「特急踊り子号」に乗り、持参したおむすび等を車内で食べました。ボックス席なので、本当にちょっとした旅気分。食事も気兼ねなくできます。
母は常に「安全圏は滅多にない」と危機意識を持たせ、偏差値の状態を崖に例えて説明。「もうちょっとで崖の端っこに手が届く」「今回ようやく崖を上がれたけど、崖の上に立っても、押されたら落ちるんだから」
今もその意識は本人の学習姿勢に生きています。クラスや席順で自分の立ち位置を知り、学習習慣を身につけられたこと、そして塾で出会った仲間との濃密な時間は何物にも代えがたい宝物です。
こうして、母が何度も諦めましたし何度も見放しましたが、本人だけが最後まであきらめなかった道のりは、確かな栄冠へとつながりました。
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