▼第一志望結果発表の瞬間
2月1日午前、第一志望校サレジオ学院中学校を受験。
結果発表は2日AM10時。
2日AMは第二志望校受験のため、本人とお父さんは受験会場。
結果発表は母である私が自宅で確認。
恐る恐る受験番号を入力して結果確認に進んだところ
『合格おめでとうございます〇〇様』
の文字が飛び込んできて、思わず涙が溢れました。
残念ながら2月1日午後の結果は、当日夜に不合格がわかっていました。
だから第一志望は半ばあきらめていて、なおさら驚きました。
▼受験生活の振り返りと課題
お教室には3年生から通室させていただきました。
毎回の栄冠への道や課題、テストの振り返りは雑で、到底受験生と思えない状態で6年生を迎えた長男。
『授業で先生のお話を聞くのは楽しいけど、聞きながら書くのは苦手』という理由からノートもきっちり取っておらず【できることをできる範囲でやっている】に過ぎませんでした。当然、どの科目も知識と理解が定着していませんでした。
6年生の日能研全国公開模試の結果は、偏差値50~55を行き来していました。
苦手な国語と社会は偏差値40台になることもあり、得意の算数と理科もムラがありました。
偏差値60近い第一志望を目指すには成績が安定しないまま、夏期講習のクラス分けが迫るタイミングでクラスダウン。先生からもアドバイスいただき、翌月には元のクラスに戻れて夏期講習へ突入。
そうしたことにも関わらず、YouTubeを見たり、メモリーチェックもサボりがち。
毎回の模試では持偏差値が志望校に全く届かず。楽観的な本人を横目に、母のイライラはMAX。
▼夏期講習の終了と先生のアドバイス
9月の面談で、クラス担任の先生にいただいた『中学受験は人生で一度しかない』という言葉で、遅ればせながら母にスイッチが入りました(苦笑)
すぐに1週間のスケジュールを作成し、教科別にやることをすべて書き出しました。休憩時間も決めて、受験本番まで曜日別スケジュールをルーチン化するよう努めました。
お教室のご指導のお陰で、演習力がついてきた秋頃から過去問に取り組みましたが、合格ラインには全く届きませんでした。それでも、苦手な社会は過去問を提出してフィードバックをいただき、とにかく過去問演習と振り返りを徹底しました。
しかし、この期に及んで休憩の比率が高め。家にお友達を呼んでゲームをしたり、遊ぶ時間も作っていて、母のイライラも爆発寸前。
▼いよいよ受験本番!過去問を何度も解き直す
体調は万全で1月に突入。しかし結果は…
栄東中学→不合格
函館ラ・サール→繰り上げ合格
実質、合格が1校もない状況で2月本番を迎えました。
『持ち偏差値も届いてないし、第一志望を変更しようか?』という考えもよぎり、先生とも相談して併願予定を何度も見直しました。しかし、学校別日特で頑張ってきた本人の希望も尊重し、第一志望は変えずに進めました。
家庭では、過去問解き直しに集中したように思います。
第一志望は7年分、最低2回ずつ解きました。苦手な国語、特に物語は、傾向が類似している浅野中学校の過去問も解きました。時間配分でしくじらないことを徹底しながら、難度が高い学校の問題を解いたことも、安心材料になりました。
▼合格とその後の喜び
繰り上げとはいえ、1校合格をもらえていたので、結果的に2月は若干チャレンジした日程になりました。
結果は次の通りでした。
2/1AM サレジオ学院中学校→合格
2/1PM 山手学院中学校→不合格
2/2AM 世田谷学園中学校→合格
本人の意向もあって、第一志望の合格がわかった時点で、2日午後以降の受験は棄権して、3日から学校へ登校開始しました。
良くも悪くも他者との比較や競争に興味がない長男ですが『絶対に2月1日のサレジオに合格して、3日月曜から学校に戻る』と言い続けていたので、【言霊】ってあるのかなと思いました。
▼日能研の先生方への感謝/未来の受験生への励まし
受験を乗り越えられたのも、先生方のご指導、的確なアドバイス、励ましがあったからこそです。
【偏差値だけではなく、学校や入試問題の相性もある】と常々教えていただいていたからこそ、第一志望をブラさず受験に向き合えたのだと思います。
親子で散々ケンカをしながら、初めて挑んだ中学受験でしたが、日々のご指導に加え
・日めくりカレンダーの言葉
・校章カード
・手ぬぐい
・壮行会
・入試当日の応援Zoom、etc.
受験生を支えてくださった全てに感謝です。
本当にありがとうございました!
みんなにとって
それぞれの自己ベストを
更新できるよう
合格を祈っています。
頑張れ受験生!
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。