中学受験という、ほぼ3年間のプロセスの集大成である「受験本番」が、子どものみならず親も含めたメンタルをどう管理するかが成否を分けることがある、というのは、日能研の保護者会・子ども会でも先生方から言われている、にもかかわらず、最後の合否判定テストを超えたあたりからは「ポジティブな声がけを心がける」「ネガティブなことは言わない」などと指導されるでしょうし、受験生はまた11歳や12歳、メンタル状態にパフォーマンスが左右される、というのもしばしば聞く話です。
では、受験生のメンタル状態はどのように変動するのか、影響を及ぼす要因はなにか、「ポジティブな声がけ」とはそもそもどうフレージングすべきなのか、さらにそうした具体の仕組み・状況に応じた適切な行動はどのようなものであるべきなのか、という指針は多くの場合、曖昧模糊としていることが多く、親は不安を抱きつつも行動指針がないまま親もまた親にとっての外部要因(子どもの成績や過去問点数という「結果」が最たるもの)からの影響によりメンタルをネガティブに乗っ取られてしまうというのがどの受験家庭にも見られる光景でしょう(こうした状況を感情ハイジャックと呼びます)。
こうした状況に対する処方箋は本来単純化することは難しいものですが、あえて原則として集約するのであれば、まずは親自身が自分の落ち込んでいるメンタルの負のスパイラルに気づくこと、そして自分のメンタルに影響を及ぼしている外部要因をあるがままの「原因と結果」の因果システムにブレークダウンすること、最後に「原因となる負の事象」を「学びの機会」として自らがポジティブに捉えることが重要です。
このプロセスは、一般的にはマインドフルネスと称されるものでしょうが、これは精神の状態が静かで落ち着いた在り様というよりは本来ダイナミックな学びのプロセスですから、このプロセスを自ら心の中で動かしたとき、口から出るのは自然に「ポジティブな声がけ」となるはずです。
はて、このプロセス、子どもが日能研の4年本科とかで思考の型としてやっていたことに似ているな、と思い至るはずで、因果を探す、共通を探す、例外を探す、みたいな呪文を、効率よく成績を上げて欲しいのに日能研のカリキュラムは無駄が多いなあ、とか思っている人にとっては驚きかもしれませんが、だがしかし、この思考の型こそが、子どもの学びに伴走する親にとっての指針にもなるのです。
こうした学びに必要な思考の型は、我が家の受験までの道のりでも常に役割を果たしてきました。ある意味では親自身、子どもが辿っている「学びのプロセス」について「親も学ぶ」という営み。「計算ミスが多い」という症状に対して「計算ミスしないように気を付けろ」と言うのは、問題解決としては「フリップ・ザ・コイン」と呼ばれる最悪の打ち手であることは、ビジネスパーソンならば常識であるにもかかわらずなぜか子どもに対してはそれを強く言ってしまうのは、親子という関係性ゆえの弊害であり、「日能研全国公開模試本番で緊張してうまく点数が取れなかった」に対して「緊張するな」というのも同じです。
わが家の場合、計算ミスという症状に対して「文字の読み間違い・写し間違い」「計算の移項における写すべき数字の場所の特定ミス」という「原因」を答案という「結果」から推測し、打ち手として空間的な認知と運動的な作業を統合しながら計算が必要となる「百マス計算」をさせることで克服を試みました。
「本番で緊張する」という症状も同じことで、そもそも試験本番の緊張状態を完全になくすことはできないことはわかりきっていますから仕事において日々何らかの問題解決を業務として行っているはずの保護者の皆様であれば、こうした場合には望ましい結果を想定し遡って「本番で最高のパフォーマンスを出す」ためには、「緊張していてもパフォーマンスできる」「今のこの緊張は『実力を出すのが楽しみでワクワクしている』と言い換える」などの逆算したアクションを思いつくだけでなく、さらに、症状を原因から辿って「望ましい結果」を想像してみれば「本番で体調が悪くてもパフォーマンスを出す」のような当初の症状からは見えてこなかった課題の抜け漏れも発見されます。
わが子の場合、頭痛になりやすい体質だったため、普段から体調の変化に敏感になって自分で適切なタイミングで鎮痛剤を飲める習慣を早くから付け、また1月受験では胃腸風邪罹患後に下痢がやっと止まった「最高ではないコンディション」で試験に臨みました。コンディションが悪かったときには、それをピンチとして捉えるのではなく、パフォーマンスが出せる「コンフォートゾーン」を広げるトレーニングの機会だと捉えれば、実は受験本番までにも数多くの事象がすべて、良いことも悪いこともひっくるめて学びの機会であり、成長のプロセスである、ということに気づくことができるでしょう。
そもそも親などというものは、無駄に長く生きているだけで新しいことを学び続けていることなど少ないのだ、まだ学ぶことがあると自虐的な自覚を持てればそれはその瞬間に「学びのマインドセット」に変わり、振り返れば己の怠惰に比べて子どもは日能研で何という濃密な学びをしていることか、と謙虚になることでその学びのメソッドから親もまた学び、子どもの学びの道のりについて学び、最大の理解者として「共に学ぶ」ならば、そしてあたうるならば「良いことも悪いことも」プロセスとして透明に子どもと対話を続けていけば、「成績が良かったことをほめる」のでも「成績が悪かったことを叱る」のでもなく、そこまでの「学びのプロセスを振り返り、振り返りから学ぶ」という、すべてがポジティブなループに入っていけるはずです。
つまり、「ポジティブになりましょう」というのは受験本番までの〇か月ではどうにもならない、ということです。今、この瞬間から親は自らの「学びのプロセス」を子どもと関わるためのOSとしてインストールする。
それにより、子どもは「成績上位」「上位クラス」「合格判定」などという「途中経過にすぎないもの」を超えていく真正の学びを通じて「志望校合格」という素晴らしい「途中経過」を手にするでしょうが、しかし、それがどんなに素晴らしくても結局は子どもにとっては、「はじまりのはじまり」にすぎないのですから、そこまでのプロセスにおいて学んだことやそのプロセスそのものが宝であることは言うまでもなく、そうした親と子が得る宝は、子どもが不確実な世界を生きていく上での力となり内に秘めたノブレスとなるのですから、私は、一人の子の親としてそうして得た「心の機関」を「親と子の栄冠」と呼ぶことには何ら躊躇いはありません。
「ホメオスタットは全体が生体系であって環境系で、それ自体が動作するマシンなのです」ロス・アシュビー(「ホメオスタシスと機械について」)
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