「塾に行きたい」
中学受験は頭になかったので小3の年末、長男が言い出した時は驚きました。友達が皆塾に行くから遊び相手がいない。というのが主な理由でなるほど、と納得したのを覚えてます。
そして、駅に直結してるからくらいの理由で日能研を選びました。
軽い気持ちで始めた塾通いですが、小4は非常に優秀な成績を収めており、すんなりいくのかなと淡い期待を持ったりしました。
が、順調だったのは小4年度まで。小5からうっすらと陰りが見え始め、小6では日能研全国公開模試を受ける度になだらかに成績は降下していきました。
第一志望は入塾当初から同じで、小4の時は十分余裕、小5の後期はちょうど適正、小6の後期はR4偏差値から8〜9程度下振れの状態です。合否判定は「再考」が並んでいました。
親は公立でも良いと思っていましたし、本人も第一志望、最悪第二志望に行けないなら公立でと言っていたため悲惨な状況にも関わらず志望校の見直しは行っていませんでした。
勉強嫌いで、机に向かっても集中して勉強しない長男の様子から、中学受験に臨むには精神的に未熟すぎたかと思うようになってました。失敗しても反省材料として高校受験に活かしてくれたらいいか、とも。
実際、家ではちゃんと勉強しないものの塾で膨大な時間を過ごし、下がり続ける成績では気持ちを保つことも難しかったのではと思います。これ以上は受験が学びより悪影響になるのではと考え、受験からの撤退について本人と話したこともあります。
ところが小6の冬に差し掛かる頃変調が見られました。
「やっぱり私学に行きたい」
以前と同じ様子だったら流したと思いますが、この頃になると漸く、少しずつ主体的に机に向かうようになっており、一生懸命なのであればと真剣に志望校見直しを話し合いました。
一緒に説明会等に行った中で好印象の学校から持ち偏差に見合う学校に変えることを提案しました。即応を想定してましたが長く考え込んでたのが印象的でした。
長考の末出した答えは「変えない」でした。
第一志望は上述の通りですし、第二志望も同様の偏差値のため判定は「再考」です。
それよりわずかに偏差値が低めの埼玉受験を2回しましたが、いずれも「不合格」。持ち偏差からすれば妥当な結果です。その後の話し合いでも志望校変更には応じませんでした。
最後に心変わりするかもと思い、東京受験の締切の数日前まで出願を保留したものの結果は変わらず。親も覚悟を決めて本人の希望通り2/1→第一志望、2/2→第二志望で出願しました。
最後の1週間の家庭学習の集中度合いはこれまでにない様子でした。出願したと伝えてからは集中度合いと持続時間がさらに一層上がったように見えました。つい数カ月前までの体たらくから比べるとこの姿を見れたことでもう十分だと感じたのを覚えてます。
最後の数日、本人には最後まで悔いなくやり切るよう伝える一方で、親としては公立進学となった時にどう気持ちを前向きにさせるか頭を悩ませていました。2/1の受験中もずっとこのことを考えていたらあっという間に4時間経過していたという具合です。
2/1の夜、合否発表時刻を過ぎてもなかなか結果を見に行こうとしませんでした。1月はほとんど第一志望対策に費やしており、ここを落ちたらほぼ公立進学が決まると考えていたようでなかなか見る勇気が持てなかったと言っていました。
定刻から1時間半くらい過ぎて塾への報告もあるからいい加減にと促したところでようやく覚悟を決めて一人で部屋に籠もりました。親も合否を見ていなかったので数分おいて響いた「よっしゃーー!」の大声で合格を知りました。本当に驚きました。
なお、翌日受けた第二志望は不合格。
第一志望の結果概要を確認すると本人の最大の弱点だった算数の平均点が例年より15点くらい低いという結果でした。本人いわく平均点が高くても自分の点数はほとんど伸びないだろうから低くて良かった。おかげで算数が致命的な失点にならず、得意の国語と社会でギリギリ巻き返せたのではとのこと。
同感です。
算数が例年通りだと恐らく不合格だったと思います。力自体足りていなかったと思うのですが、厳しい状況の中で志望校を変えず対策もそこに全振りした長男に少しだけ運が味方してくれたのかもしれません。
虚仮の一念岩をも通す。
全落ちのリスクは大きかったですが、長男の受験はこの通り強い想いがいい結果に繋がりました。成績の経過に伴い志望校を見直す見直さないは一定数の方が直面するのではないかと思います。最終判断を下す親としては本当に難しい問題だと思います。これから受験を迎えるご家庭では、受験生とじっくり話し合い後悔されない決断をされることを心から望みます。
叫び声の一瞬後、ドタドタとリビングに駆け込んできた長男はこれまで見せたことがないくらい満面の笑顔で溢れてました。
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