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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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ぎりぎりで志望校変更をして合格しました

  • 年度:2026
  • 性別:男子
  • 執筆者:
埼玉受験で合格をとれ、千葉受験は我が家も万全の準備をして臨んだつもりでした。しかし、不合格が続き、1月27日の受験会場を出てきた子供の顔がこわばっていることに気づき、当初予定していた2月1日の志望校を変更しました。偏差値的には同じですが学校ごとの特色を鑑み、子供の得意科目である算数と社会が得意な子が多いと言われる学校に変更したのです。この時点で持ち時間は5日です。

受験期の母親は、常に極限状態にあります。特に不合格が続くと、正常な判断ができなくなるものです。私もそうでした。思考が停止しそうになった私を救ってくれたのは、受験を経験した信頼できる複数の「先輩ママ」たちでした。彼女たちには9月ぐらいから模試の結果、特に苦手な国語の記述の採点画面などを共有しておりました。

彼女たちに現状を打ち明けると、客観的な視点から志望校を選定してくれました。自分一人では偏差値表の上から下を眺めることしかできませんでしたが、経験者の知恵は違いました。「前受校で算数満点で合格できてるから自信を持ってほしい。でも今のままの志望校では合格は厳しいと思うよ。出題傾向も校風も息子君にぴったりのところを紹介させてほしい。偏差値は変えないから算数と社会が得意な子が集まる学校に志望校を変更しようよ。まだ間に合うから。2月1日の合格はやっぱり中学受験をするなら特別なものだよ。合格しようよ」その言葉で5日前での志望校変更をする決意ができました。そして驚くほど元々の学校より変更後の学校のほうが校風も出題傾向もあっていました。
この経験から痛感したのは、「母親が一人で抱え込まない体制」を作っておくことの大切さです。信頼できる相談相手がいたからこそ、私はパニックにならず、次の一手を選ぶことができました。

助言を受け、2月1日の志望校を急遽変更しました。偏差値はもともとの志望校と同じです。先輩ママが配点や出題傾向が子供の持ち味を最大限に活かせる土俵をえらんでくれ、私は千葉で連敗していた子供に都内で合格を取れると洗脳するまで言い続けました。

1月30日までは塾の授業と過去問に費やしました。志望校変更で併願プランを日能研のスタッフと組み換え、併願校の過去問も同時にこなしつつ、日能研のスタッフに苦手な理科のアドバイスを依頼し、苦手な理科の中でも特に急所を指摘してもらいました。これはのちに2月1日校の理科でまるごと出題されることになります。

帰宅後、私はオンラインで先輩ママとエクセルで31日の勉強について25分単位の工程表を作成しました。やるべきことをタスク化して視覚化したのです。
一人でやるとパニックになって25分でやれる量をかんがえずにあれもこれもとつめこみ、最悪5日まで連戦する子供によけいな負担をあたることを防ぐため先輩ママと作成しました。もちろん、全てが計画通りには進みませんでしたが、私が委縮する中「今までちゃんとやってきたから、31日は勉強しなくても大丈夫なぐらいだよ」と声掛けをしてくれたおかげで正気を保てました。
2月1日の夜、私は怖くて合格発表がみられませんでしたが、子供が「ママ、合格した!」と叫んでいました。そしてそのあと「勉強がんばってよかった」といいながら泣き出しました。小学生の子供に遊びも我慢させて、中学受験は親の都合ではないのか?第一志望を勝手に変えてうけさせたこと、すべて自己嫌悪しておりましたが救われた気分です。

あの日、1月27日に戦略を変える勇気がなければ。複数の先輩ママたちの知恵を借りる謙虚さがなければ。そして、最後の1分まで日能研と共に計画を練り抜く執念がなければ、合格はありませんでした。
兄弟二人目の中学受験で周囲にはなれていると思われていましたが、想像以上に母親は動揺したり判断力をなくしています。ミスもします。実際、私は実際2月1日の午後受験の出願忘れをしており、日能研に泣きながら電話したり、先輩ママに長文の愚痴のメッセージを送っていました。たくさんの失態をみせる私にみんなは子供の前で笑顔で振るまえれば大丈夫だと言ってくれました。本当にごめんなさい。でもちゃんと合格したから許してほしいです。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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