「私の受験の物語は、小学4年生の頃から始まりました。」
私は、小4年のときはまだ塾に入っていませんでした。タブレット学習で中学受験用のテキストをただやっているだけでした。もちろん、周りの子はみんな塾に通っており、両親にも入塾を勧められました。しかし、その頃の私の気持ちはそこまで深くはなかったのです。
5年になったときにやっと塾に入りました。初めはA2クラスでした。私の教室は、A1、A2、A3、Mの4クラスがありました。当時私が知っていた友達は、皆A3やMクラスにおり、みんな上がっていったんだなと思いました。けれども、実際のところ私は不真面目で、そういったところに危機感は持ちませんでした。勉強もたいしてせず、偏差値も50を下回るのが普通でした。それなのに、妙に志望校だけは高く、Mクラスの子が志望するような学校を当時は志望していました。
そんなこんなで1年間ずっとA2のトップにいたにも関わらず、A3に上がれたのは、6年の時でした。A3に上がるとみんな成績がよくて、クラスの最下位になることも多々ありました。けれど、そんな私を救ってくれたのは、先生方でした。特に算数の先生が面白くて、直にファンクラブまでありました。私は先生のことをとても尊敬していて、その先生に褒められるために、算数を勉強していたと言っても過言ではありませんでした。その結果、算数はすごく伸び、社会と理科もそれにつれて伸びました。
国語はA2の頃とたいして変わりませんでした。けれども、後期になると偏差値がぐんとあがり、55後半を安定的にとれるようになりました。そして、A3のトップにまで昇りつめました。
志望校を決めるとき、私がA2のときまで志望してた難関校はやめて、栄東中学校にしました。決して栄東を低く見ていたのではなく、自分の本当に行きたい学校が栄東になったので志望校を変えました。
1月10日はみんな開智所沢中学校を受けて加点をとりに行くのですが、私はどうしても栄東を受けたくて、両親と先生に理由を話して、やっとのことで栄東を受けられることになりました。そして、栄東の過去問を日々取り組み、結果無意識のうちに9年分取り組んでいました。メモリーチェックも、いつのまにか7周目に突入していました。
そして迎えた入試当日。自分でも驚くほど緊張していました。1日目は第一志望の栄東と安全校の埼玉栄中学を受け、埼玉栄は合格しました。ちなみに栄東は1/12に結果が出ます。2日目は栄東と星野学園中学校を受けました。星野学園は合格しました。1、2日目もこれで人生が変わるんだと思うと、思うように栄東を受けられませんでした。
次の日、結果が出ました。両方とも不合格。不合格という3文字がとても醜く見えました。自業自得なのに__。1/12は、開智所沢も受けました。第2回受験です。加点がないので、受かるか心配でしたが、無事合格。
次の日も淑徳与野中学校をギリギリ合格し、これで十分と思ってしまいました。しかし、私にはまだ栄東が残っている。1/15の開智所沢を練習がてらと思い、受けて惜しくも1点差で特待生にはなれませんでした。悔しながら迎えた1/16の栄東。10、11日は埼玉栄で受けていたので、本校で受けるのは初めてでした。受験生がたくさんいて、みんなライバルだと思いながら受けました。
次の日、半ば諦めながら結果を見ると、見事合格。家族で胴上げをしました。それくらい嬉しかったのです。なぜなら、私の人生が大逆転した瞬間だったからです。
そうして、私の受験は、風のように過ぎていきました。しかし私の言いたいことは、受験は、必ず人がたどる道だということです。必ず皆経験し、皆不安に駆られる。そんな中、平常心を保てるものこそが、勝者です。たとえ、私の受かった学校が、ハイレベルだろうが、簡単だろうが、この体験こそが「受験」なのです。皆「受験」をしていることは変わりないのです。そして、「努力は必ず報われる報われない努力があるなら、それはまだ本当の努力とは呼べない」。王貞治さんの言葉です。人間とは、ずっと完璧を目指さなくてもいいのです。必ず一回は間違えるものです。そんなことを考えながら、日々勉強、そして努力して欲しいです。何があるのか未来はわかりません。けれど、それを唯一変えられるのは、自分だと思ってください。中学校ではきっと楽しいことがたくさんあります。
「自分が志望校に通っている姿を考えて___。」
【結果】
1/10 栄東I 不合格 am
埼玉栄 医学特待合格 pm
1/11 栄東II 不合格 am
星野学園 進学合格 pm
1/12 開智所沢 第2回 一般合格
1/13 淑徳与野 特進合格
1/15 開智所沢 特待B 一般合格(スライド)
1/16 栄東III 難関大合格
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。