12月中旬、朝起きてくるなり父に向って「のどが痛い」という息子。
これは、我が家では、これから風邪で寝込みますという狼煙なようなものとなっています。
概ね一週間は、ストライキとなるのです。その覚悟をしてくださいと言われたようなものなのです。
日めくりカレンダーが2月1日まであと49日と無情にも告げています。7÷49=1/7だから約14%。
追い込みの時期の14%がロスになるのです。
こういうことの無いように、母は、初秋からインフルエンザの予防接種の予約のために、クリニックのHPを絶えず監視していました。もちろん、予防接種も家族全員接種しました。この努力は水泡に帰してしまうのです。
そんな、やるせない気持ちを抱いて、家で大人しくさせていましたが、3日目に高熱が出て、インフルエンザとなりました。こういう流行には乗って欲しくないものです。学校も塾にも行けず、顔を真っ赤にしながら、寝ている日々が続くことが確定してしまいました。
こういったときは、普通の親ならば「ゆっくり休んで、早く体調を戻そうね。」とか「直前期じゃなくて良かったね。」と子供を慰めるのが常識です。
ただし、遠足で遅くなっても、少し頭が痛いくらいでも塾を休みたがらない息子にそんな気休めは通じません。また、受験戦争の恐ろしさをこれまでの人生経験から痛いほど分かっている父は、常識的なことをしていては、結果はついてこないと思い、何かこのピンチをチャンスに変える妙案は無いかと考えることにしました。
熱があるので、インプットは難しいものです。熱にうなされる中でのうる覚えのインプットは逆に命取りになりかねません。「ならば、アウトプットしかない。過去問を解かせよう。」とひらめきました。
「第二志望校の過去問を解かせよう。第一志望校はこんな時に解かすのはもったいない。」と考えました。
過去問の出来が悪ければ、高熱だから得点が悪いのは当然であり、いっそう体調管理に努めるのが大事だよねという結論で終了となります。出来が良ければ、高熱でもこんなにいい点が取れるのだから、絶対大丈夫、自信を持って受験に臨もうねという結論になります。
これは、ノーリスクハイリターンのギャンブルです。しかし、この種明かしを子どもには告げないことにします。「高熱でもどれくらいできるか、せっかく高熱なのだから、こういう時しかできない実験をしてみないか」と息子に提案しました。高熱とはいえ、寝起きでこれから布団の中で、悶々と過ごす時間を退屈に感じていた息子は、この実験という言葉の響きに、好奇心を掻き立てられたようで、「やろう。やろう。」と嬉々として答えるのでした。
高熱で赤い顔をしていますが、よく寝た後のため、息子はすらすらと解いていきました。日頃の寝不足状態と比べるとやはり睡眠は重要であるものだと改めて気が付かされます。
過去問を解いている姿を見て、母は、この父子を呆れて見ていました。常識のある母らしい反応であり、こういう人がいるから、ハチャメチャな父子がいるのに一家のバランスが取れるのです。貴重な存在です。
4科目を終えて、採点すると合格最低点と合格最高点の丁度中間くらいの成績でした。「これなら高熱があっても合格だから心配しなくても大丈夫だね。」
安心したのか、息子は過去問を解き終えるとまた寝てしまいました。ちなみに、過去問を解いて力を出し切って、高熱も一緒に下がっているといいなあと思っていましたが、高熱が下がるのはその2日後のことでした。
この日以降、何かにつけて、「高熱でも合格点とれるのだから、第二志望までは絶対合格するよ」が父の口癖となり、暗示をかける言葉となりました。
受験期も後半を迎えると勉強の内容は次第に高度になったため、基本的に塾任せとなり、親として関われるのは、出願手続きと体調管理、そしてメンタルの維持ぐらいでした。机に向かうのが楽しいと思える3年間を過ごせたのは、日能研のカリキュラムのおかげです。このカリキュラムや指導してくださる先生のおかげで合格できたと思っています。その上で、ハチャメチャ父子のエピソードとしてご理解いただきたく寄稿させていただきました。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。