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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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私・子どもを変えたきっかけ

波乱の受験

  • 年度:2025
  • 性別:女子
  • 執筆者:本人
私の受験は本当に波乱だった。
まず4年生の最初の日能研全国公開模試、なんと偏差値は44。
絶望した。もっととれると思っていた。

受験を始めた当初、私の志望校は青山学院中等部。だけど、この結果に絶望し成城学園中学校に変更した。そこからがまた波乱。もっと勉強できると思っていたが、4年生の私は15分を満たすに休憩に入り、30分以上のテレビを見ていたのだ。だがなぜか私の成績は下がらず、ずっと現状維持だった。

そしてそのまま迎えた5年生。さすがに勉強が難しくなってきた。だが、15分の勉強に30分の休憩でも何故か成績は上がり、5年生の最初の公開模試は初めて偏差値50代になった。でも最初は得意だった算数がどんどん偏差値が落ちていき、最終的には偏差値40になった。そして4年生と大差なく終わった5年生。

6年生になってしまった。その頃にはもう偏差値は55を超えていた。そして焦点をもう一度青山学院に戻した。そしてさすがに6年だからやらなければとスイッチが入り、私は1時間の勉強に10分休憩になった。でも夏にはやりすぎて体調崩し、どんどん成績は下がっていった。その頃にはなかなか取らなかった偏差値52をたくさんとってしまうようになった。

でも、12月ごろに青学の文化祭に行ったことで、スイッチが入りそこからどんどん勉強するようになり1時間30分勉強10分休憩になった。第二志望の立教女学院中学校と恵泉女学園中学校の過去問は取れるようになっていたが、青学の過去問は一向に取れず、気づいたら1月受験を終えていた。これはまずいと思いまずは立教女学院と恵泉女学園の合格を取ることに集中した。

そして迎えた2月1日立教女学院と恵泉女学園は合格判定が出ていたのにもかかわらず不合格。絶望した。
絶望の中迎えた2月2日。午前は、滑り止め校と午後は恵泉女学園の2回目の入試。滑り止め後は軽々できたのだが恵泉女学園の時は体調崩しうまくできなかった。青山学院中等部を受けるより東京女学館中学校を受けた方が安全だと思い、恵泉女学園が落ちていたら、東京女学館中学校に変えようと決心した。

ずっと追い求めてきた志望校変えるのは辛かった。だが12時結果を見たらなんと合格。嬉しすぎて飛び跳ねた。最初の偏差値44からの偏差値56の恵泉女学園の合格。本当に嬉しかった。
そこでみんなに言いたいのはこんなに怠けていた私でも合格できたんだから、中学受験はなんとかなる!!ということだ。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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