想像以上でした。
中学受験の本番が親子にとってここまで過酷とは・・・・・・。
1月の前受け校は、興味を示していた全寮制の共学校と千葉の女子校を受験。
どちらも合格をもらい、順調と思い、1月の東京校に臨みました。
夫婦ともども、中学受験未経験なので、ここまで勉強してきたのだから受かる、と思い込んでいました。
しかし、1日。試験のあと、娘は「できなかった」と暗い顔。
案の定、1日21時に第一志望校に不合格、23時の第二志望校も不合格と判明。
正直なところ、第二志望校は、苦手な社会・理科がない2科目受験だったので、受かるものだと親子ともども思っていました。
どうしようと、私は顔面蒼白、全然眠れません。
2日の朝、前日の結果を知り、娘は泣きながら受験会場へ。
この日は午前に第三志望校の偏差値的には安全な学校。午後は第一志望校の二回目。
私の中では、第三志望は受かるはずで、午後の第一志望は偏差値も倍率も高いのでまず難しい。
1日目の二校とも不合格の衝撃は大きく、第三志望校の合格がもらえたらもう万々歳という気持ちでした。
娘は20時には寝て、21時に第三志望の結果発表。
たぶん受かっているからその場合は娘を起こそうと思って、21時がくるのをいまかいまかと待っていました。
結果はまさかの不合格。
体中の力が抜け、息も絶え絶えの状態で、夫に報告。
結果が悪かった時のシミュレーションをしていなかったので、とにかく教室長に相談をしようと電話をしました。
「3日の午前に、偏差値的にはだいぶ安全な女子校に出願し、午後には第二志望校の三回目を受験しようと思います」と伝えました。
「それは正解です」という心強いお言葉。
寝ている娘の横で添い寝をしようとベッドに入ると、娘は目覚めて怯えた表情で、「第三志望、落ちてたの?」と聞いてきました。
嘘をついても仕方ないと「残念だったけどだめだった。たまたま縁がなかっただけだよ」と答えると、布団にくるまって大号泣。
「私、全落ちするの?」「つらいよぉ・・・・・・」と泣く姿を見るのは耐え難く、
「大丈夫、絶対なんとかなるから。今がどん底でこの先上がるだけだから」と言い聞かせるもののシクシクと泣き続け・・・・・・。
このときばかりは、「なんで中学受験させちゃったんだろう」と正直思いました。
日能研の青いリュックを背負って、3年間通っていた姿を思い出し、こちらも静かに泣き続けました。
ほぼ眠れないまま朝を迎え、7時半に出発する娘を送る準備をしました。
前日の第一志望校は7時発表。ですが、サーバーダウンのためようやく見られたのは7時20分。
娘を送り出してから見たほうがよいかなと思いつつも、やはり気になり、スマホをこっそり見ました。
これ以上、ショックを受けたくないので「絶対落ちてる。受かるわけない」といい聞かせて画面をみると、灰色の文字。
ああ、やっぱり。ほらね、ピンクの画面じゃない。
ん?ちょっとまて。おめでとうございます?合格?え?え?
合格している??
玄関で靴を履いている娘と夫のところへとんでいき、「ちょっとー、どういうことよー」となぜか怒ったような表情で画面を見せました。もう感情が崩壊していました。
娘は「え?何があったの?」と涙ぐんでいます。
(あとから聞いたら、私の顔がひどく焦った表情だったので、今日のテストの出願ができていなかったんだ、終わった、と思い涙が出てきたそうです)
画面を確認した娘と夫は抱き合って飛び上がって喜んでいます。
でも、もう出発の時間。
「最後までがんばって試験は受けよう」と言って、送り出しました。
そして、この日受けた2校も、合格!
結果としては、第三志望の学校以外は、すべて合格をもらって終了することができました。
絶望の淵にいた2月2日、試験を受ける娘を待つ間、この栄冠ドラマをずっと読みました。
ストレスで、胃痛と腹痛に襲われていましたが、似た状況の方の投稿を読み、なんとか持ち堪えました。
それまではきれいごとな気もしましたが、「最後まであきらめないこと」が本当に肝だと思います。
そして、子どもには大丈夫だよと励ましながらも、
親は最悪のパターンを想像して、心の準備、試験の準備をしたほうがよいと思いました。
子のメンタル、親のメンタルを考えて、打たれ弱い場合は、1月受験で通学範囲の学校の合格をもらうこと、2月の1日2日午前までにかなり確実な学校を受けることがよいかと今となっては思います。
そして、深夜、早朝とすぐに電話に出てくれ、
パニックになっている私になんてことないという感じで冷静に励ましてくれた室長には、本当に感謝しかありません。
心強かったです。
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。