5年生の1月、成績が低迷し続ける子どもを心配した夫からの相談をきっかけに、私は初めて本格的に受験に関わることを決意した。
もともと母である私は中学受験経験がないため、今更ながらゼロから情報を集め、志望校選びや学習計画を徹底的に研究。週単位のスケジュールを作成し、日能研の先生とも密に連携しながら、1年後の合格に向けた具体的な戦略を立てた。
特に大きな課題は算数だった。国語と社会は得意だったが、算数が足を引っ張り、結果として理科(計算分野)も伸び悩んでいた。そこで、まずは夏までに算数の基礎固めを最優先とし、夫のサポートを受けながら徹底的に取り組んだ。
しかし、夏を終えても成績は低迷し、クラス順位もついに最下位近くを推移。この時期は、本人にとっても親にとっても苦しい時期だったが、受験を決意するきっかけになった、子どもの「夢のために合格を諦めない」という強い気持ちが、最後まで私達の支えとなった。また、長らく光が見えないどん底の状況の中、算数の先生が積極的に相談に乗って下さり、支えてくださらなければ、これ以上勉強を続けることはできなかったかもしれない。
大幅に予定が遅れた10月に、ようやく算数の基礎が完成したものの、志望校判定は依然として厳しい状況。子どもの士気が下がりかける中、私は塾の先生と何度も相談し、より現実的に合格可能な学校を選定。最終的に周囲よりだいぶ遅く、12月の終わりに第一志望校を決定し、その目標に向かって残り一カ月を全力で走ることとなった。
11月からは過去問演習を本格化。この頃には算数の苦手分野を3つにまで絞り込むことが出来るまでになっていた。
12月には第一志望校の対策として、私は克服に向けた6冊ものオリジナル問題集を作成した。自習室に毎日通いながら遅くまで勉強に取り組み、先生方のご協力のもと、持ち前の素直さで着実に算数の理解力と得点力を上げていった。
しかし、成績は依然として安定せず、不安な日々が続いた。それでも、1月になると子ども自身の学習意欲が高まり、徐々に自信を取り戻していった。
迎えた1月受験では、手応えがあったにもかかわらず惨敗。しかし、それをバネにしてさらに意欲を増し、自ら毎日努力を重ねた。
2月の受験初日では、緊張のせいか本領を発揮できず、自己採点の結果、わずか2問のミスで不合格。まさかの僅差に親子ともども動揺しながらも、何とか気持ちを切り替え、ようやく落ち着きを取り戻し始めた2日目の午後、ついに初めての合格を獲得。
この成功が大きな励みとなり、3日目には午前・午後ともに合格。結果的に、持ち偏差+5の理系進学校を含む3校に大逆転合格を果たした。第一志望校は一つ上のクラスレベルであり、合格判定テストでは一度も合格圏内に入ることがなかった3校だった。
本番直前まで、大人たちはさらに偏差値を下げた学校を勧めたが、子どもだけが最後まで諦めず、どん底から這い上がり努力を続けた。側で支えた私たち家族、そして、日能研の先生方の温かく手厚いサポートがあったからこそ掴んだ、まさに奇跡の大逆転合格だった。
夜遅くの合格発表だったが、いち早く伝えた合格の報告に、日能研の先生方は驚きながらも涙ぐみ、心から喜んでくださった。その温かい反応に、これまで支えてくださった先生方への感謝の気持ちが一層深まった。
この1年間の苦労と成長の物語は、まさに「中学受験は親子の受験」であることを改めて実感させるものだった。
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