自分の内側―玉川聖学院の「人間学」の授業ノート

  • Vol. 1488 : 2017/06/25

玉川聖学院中等部女子校

玉川聖学院での高校2年生「人間学」のひとコマ。

この日はアウシュビッツで行われた所業から、人間の尊厳について考えます。
神妙な面持ちで映像を見据える子、こらえきれず目頭を押さえる子、絶えずペンを走らせ、ノートに何かを書き留め続けている子―
薄明かりの静寂な教室で、80年ほど前にあった、その惨たらしい現実を、今、教室にいる誰もが真正面から受け止めています。

その日の校内見学の中で、もっとも強く印象に残った場面。
生徒たちの内面に何が起きているのか、関心が高まりました。

その答えは生徒たちが‘授業ノート’に書き綴っていました。

図書室の見学の際、「人間学」の‘授業ノート’を手に取ることができました。
そこには3年生の「有志」のノートが全部で20冊ほど。それぞれ、色あせ、もとの厚さの何倍にも膨れ上がっています。「有志」たちが、1・2年生のときにどれだけノートと向き合ったかを物語っています。

自分の言葉で綴られているのは、その日の講座の中身や気づきに始まり、ディスカッションで感じた視点や価値観の違い、自分の日常と照らし合わせて、己の思慮分別の浅さを嘆く言葉、家族や友人、先生たちへの感謝、今抱えている人間関係や学業について悩み、考えたこと、そこから生まれた決意―。

ページの隅から隅までを、几帳面な、ときに走り書きの、まさしく肉筆の文字が埋め尽くしています。
ノートを‘これでもか’と膨らませていた原因はたくさんの付箋でした。あとから思いつき、書き足したいと思った数だけ貼られているようです。

図書室で説明してくださった先生ご自身も‘玉聖’の卒業生。今でも「人間学」の‘授業ノート’は、大切な宝物だそうです(そして、「有志」たちからも「絶対にちゃんと返してよね!!」と念を押されているとか)。

「情操教育」、「リーダー教育」、「キャリアガイダンス」を多くの学校が標榜しています。ただ、倫理や道徳の一般論を聞かせたり、大人が生徒を導くのではなく、まず生徒本人がとことん自分自身と向き合うことが肝心ではないでしょうか。
ノートにびっしり書き綴られた心の言葉に、人間教育の本質を見たような気がしました。

教務部 なるとん

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