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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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娘の中学受験を終えて

  • 年度:2019
  • 性別:女子
  • 執筆者:
まずは、最後の最後まで娘に寄り添い、応援頂いた教室の先生方のご支援に感謝申し上げます。本当に有難うございました。

この機会に娘の中学受験について、振り返ってみたいと思います。

娘は小4の時に、他塾に通塾していましたが、宿題の多さと男の子向けの根性論、そして成績上位者に合わせた授業内容に辟易してしまい、新5年生の春期講習から日能研にお世話になりました。
本人によると、日能研の雰囲気はとても明るく、また先生方の話も楽しく、通塾が苦にならないとのことだったので、日能研で6年生の中学受験までお世話になることを決めました。

クラスは3クラス編成の真ん中でしたが、毎週の育成テストや公開模試の結果で、真ん中のクラスの下位ゾーンであることは、親子とも理解しておりました。
よって、授業内容の半分程度の理解があればよい方で、科目によっては「今日はコピー機になった」つまり先生の解説の板書をノートに一生懸命書いただけ、という日もございました。
先生に言われた宿題も、あわてて前日にこなすことがほとんどでしたが、本人の真面目な性格もあり、「栄冠への道」を中心にほぼ欠かさずにやっておりました。
本人には、「下のクラスでもっと基礎問題をやってもらった方がいいから、先生に相談する」と何度も言うのですが、真ん中のクラスでいることが本人の当時の最大のモチベーシヨンだったようで、毎週の育成テストの結果に一喜一憂しながらも、真ん中のクラスで受講を続けておりました。

5年生の頃、成績は偏差40~50の幅で推移しており、まだまだ本気で取り組む状況ではございませんでした。
一人っ子ということもあり、過保護に育ててしまい、自主的に勉強する意欲や競争心は、芽生えなかったようです。
また、特に算数は2~3か月前に覚えたことが抜け落ちるなど、テストで点数に結びつけるほどの知識や解法の定着は図れていなかったと思います。
それでも楽しく通塾を続けていたのは、先生方の授業の工夫や子供への接し方のおかげと思います。

6年生となり、中学校の文化祭や学校説明会に足を運び、志望校もなんとなく決まってきて、いよいよ夏期講習に突入しました。
しかし、まだまだエンジン全開にはならず、3日頑張っては、4日は手を抜くような日々だったと記憶しています。
夏の特別テストは点数が平均以上を超えることもありましたが、夏休みの中盤に息切れしてしまい、やる気とともに机に向かう時間も大幅に減ったことを覚えています。
思い返せばこの夏休みが、一番親子喧嘩が多かったと思います。早起きできず、勉強に身の入らない子供に対し、受験経験のない妻は、度々感情的に叱責しておりました。

そんな中9月に入り、先生から社会のメモチェを早く1周目をやるように指示されたことで、少しやる気が再燃したようでした。
唯一、社会だけは自分から進んで勉強する科目でした。社会の先生の授業は、授業の中で記憶に残るような用語の覚え方を伝授されており、本人は大変興味深いし役立っているとのことでした。

夏休みから9~10月にかけては、まわりの受験生がスパートをかけていることもあり、偏差値はさらに下降気味で、親子喧嘩も絶えなかったと記憶しています。
毎週のテストも合格力実践テストに変わり、総合問題が主となったため、抜け落ちている分野をカバーするため、特に算数の基本問題、正答率50%以上のテスト直しだけは、必ずやらせていました。
返却された算数の解答用紙の上段には、先生の「為せば成る」の言葉が記され、親子ともども本当に勇気づけられました。

そして12月に入り、少しずつエンジンがかかり始めた矢先、女の子特有の身体の変化がはじまり、情緒不安定な時期が続きました。
最後の公開テストもその状況の中、偏差値40を下回る、この2年間で最も低位な結果でした。
それでも本科教室や冬期講習に行くことで、一定の勉強時間の確保と受験への意欲は保っていたことは幸いでした。

1月は過去問中心の勉強となりましたが、併せて算数は、6年生本科教室の考えよう4-5、深めよう1-2を復習しました。
結果的にこの勉強が功を奏したように思います。

先生の勧めもあり、1月は度胸試しのつもりで埼玉の大宫開成を受験しました。
驚くことに算数は、自己採点でも、ネットの合否結果でも80点をマークしており、かなり自信になったようです。
直前に過去問の大問2,3をくり返しやったこと、公開模試より難易度は低かったこと、計算ミス、転記ミスをせずに確実に基本問題を解けば合格点は取れること、などを学んだようです。
おかげさまで合格をいただき、大変遅くなりましたが、このタイミングでやっと本人のやる気スイッチが入りました。

2月1日、本番までのラス卜20日間は、冬期講習や直前チェック講座のテキストをくり返し行いました。
この時期日能研で配られるプリント類は、まさに最終の基礎知識確認の要素が多く、家庭勉強での追い込み用にビッタリでした。

また、最後まで苦手だった理科もメモチェに加え、先生の手書きのミニテストも復習し、覚えようという意識で学習していました。
算数は冬期講習テキストのパーフェクト問題や直前講座のテキストで、頻出の速さと比、割合、図形を勉強しました。
ちなみに冬期講習のテキス卜は、直前対策として大変よく出来ており、国語についても巻末の慣用句や漢字、語句問題をコピーし、くり返し勉強していました。
結果、過去間も科目によっては75%前後の得点となったこともあり、ラスト20日間ではありましたが、本人的には「やり切った」感を持ち、2月1日に臨むことが出来ました。

しかし2月1日の結果は、第一志望の成城学園、午後受験の大妻中野ともに不合格。
本人は2校とも、それなりに手ごたえがあったらしく、残念な結果となりました。
当日夜は、娘は泣くことはありませんでしたが、相当悔しい思いとフラストレーションがたまったようでした。
親としては「まだ明日がある」と勇気づけることと、翌日に向けて早く寝かせることしか出来ませんでした。

そして受験2日目、午前は第二志望の山脇学園、午後は大妻中野のリベンジとなります。
朝、校門前で教室のF先生に激励を頂き、最後の勇気をもらったと思います。

結果は2校とも合格。
インターネットで合格を確認した娘は、まさに狂喜乱舞し、久しぶりに満面の笑みをたたえておりました。
私も感無量の気持ちでいっぱいでした。

その興奮冷めやらぬまま、2月3日成城学園2回目の受験、最後の中学受験に臨みました。
最後の受験が終わり、本人へ感想を聞くと「今回も手ごたえある」とのことでした。また、これでダメでも精一杯実力を出し切ったし満足している、とかなりの達成感だったようです。
ただ、直前に学校対策としてかなり勉強した「速さ(旅人算)のダイヤグラム」と「水を入れる容積の推移」の問題は、今回も出題されず残念だった、と悔しがっておりました。

2月3日の夜、ふたりでインターネットによる合格発表の中で待望の番号を探すも、娘の番号はなく、残念ながら結果は不合格。
しかし、本人は全く悔しがる様子もなく、笑顔とともに、爽快感さえ感じました。
(大学附属校の人気が想像以上に高く、実質倍率も例年を相当上回っていたようです)
そして一夜明け、進学先は山脇学園にすると本人の意思を伝えてくれました。また6年後には成城学園よりもいい大学に行く、と力強く話してくれました。

これで娘の中学受験は終了となりました。

子供は中学生になれば、おそらく親離れが加速し、ある意味自分の意思で育っていく、と思います。そう考えると、中学受験は「子供のためにやってあげられる親としての最後の支援」なのかと思い、この2年問、並走しました。

中学受験といえば、御三家や難関校が世間のイメージですが、我が家の場合、普通の子の普通の受験だったと思いますが、親子で感動することができましたし、満足する結果でありました。
その普通の子に、最後まで寄り添いご指導頂いた先生方に本当に感謝いたします。

ラスト20日間の本人の努力のペースには、日能研本科教室の授業や毎週の育成テスト、栄冠への道の宿題、的確なミニテストなど、受験に必要な知識と動機づけが2年間にわたり、ちりばめられておりました。
普通の子でも頑張れる環境を先生方に作っていただき、そして最後の最後まで、子供に寄り添い支援いただきました。日能研で本当に良かった、と思います。

2年間ご指導をいただきました先生方、誠にありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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