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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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ラストチャンスで勝ち切る力

  • 年度:2020
  • 性別:男子
  • 執筆者:
4年生の春期講習から日能研にお世話になりました。
その頃から中学受験を考えていたわけではありません。
4年生から妻の会社の時短勤務がなくなり帰宅時間が遅くなるので、夕方に子どもの面倒を見てもらいながら、学習習慣をつけてもらうことが目的でした。
受験では7校受けて、全て合格を頂くことができましたが、第一志望の海城高校は一次試験で落ち、二次試験でようやく掴んだ合格でした。
それまでの軌跡を振り返ってみます。

4年の春からM1クラスでスタートしました。
ほぼ同時期にサッカー少年団に入り、週4日のサッカーと塾の両立が始まりました。
5年生から一週間のなかで塾が3日で残りの4日間がサッカーとなりました。
土日は子供のサッカーに付き合う生活習慣のため、どちらかと言えばサッカー中心の生活でした。
家では塾の宿題を終わらせることで精一杯となり、就寝時間は11時を超えて時間管理も大切になってきました。
結果的に限られた時間の中で集中して勉強する習慣はこの頃に身についたと思います。
終日サッカーの練習試合をした後に、疲労困憊の状態で塾のテストを受け、ボロボロの成績だったことは今となっては良い思い出です。

6年生の授業のカリキュラムを見て週4日の通塾となることを知り、サッカーとの両立が難しくなりました。
以前「親と子の栄冠ドラマ」の中で受験と野球を両立した体験談を読んで甘く考えていましたが、曜日が重なり現実は難しいと感じました。
5年生の冬休みの間に受験をせずにサッカーを続けるか、受験に専念するかを息子に問いかけると、長い時間をかけて考えた結果、最終的に受験を選びました。
一緒にサッカーをしてきた仲間には申し訳ない気持ちもあり、後ろ髪を引かれる思いで退団しました。
そしてこの時期転機となったのは、先生からクラスUPを勧められたことです。
いわゆる御三家を目指していた訳でもないので、一番上のクラスの授業についていけるのか子供も親も不安でした。
それでももし志望校に入学したら、上のクラスの中でやっていける学力がないと厳しいと思い、背中を押す形でクラスUPを受け入れました。

はじめの頃は授業内の小テストで良い点が取れず、周囲についていくことが大変でクラス落ちのプレッシャーもありましたが、サッカーを止めたことで勉強時間は確実に増え、成績も少しずつ上向いてきます。
受験が終わった後に息子に確認したところ、結果的にクラスUPしてよかったそうです。
周囲の学力に食らいつくためにギアを一段上げることになったと話しています。
夏休み明けの日能研全国公開模試も良い結果で、このままクラス落ちを回避できる感触を持ちました。

秋になると息子は学校対抗の駅伝大会に出ると宣言しました。
昨年は僅差で学校代表8人の選考枠から漏れた経験から、今年は何が何でも出場する決意を固めています。
一ヵ月半の間、朝早くに学校へ行き授業前にランニング、また放課後も残ってランニング。
正直勉強時間には影響しますが、通塾の妨げにならない範囲で息子の宣言を尊重し、応援することにしました。
もともと走力には自信のあった息子ですが、6年からサッカーを止めた影響で5年の時に勝てた友達に勝てません。
実力のある子はトライアル走で出場を確定する中で、息子は最後までボーダーライン。
大会直前の最終トライアル走で最後の8人目の枠を勝ち取りました。その時の根性はたいしたものだと思いました。

駅伝大会が終わり本格的な受験モード突入です。とはいっても特別なことをするわけではありません。
宿題とテストの解き直しを繰り返し、過去問を週に2~3回するので精一杯です。
振り返ると公開模試の平均偏差値が4年時に57、5年時に58。6年の前期が62で6年の後期が63でした。
海城一次試験のR4偏差値63に届いてきたものの毎回成績は乱高下して、点数のばらつきをいかに抑えるかが重要であることを強く意識しました。
題意に沿って答えること、計算を丁寧にすること、文字や数字の書き写しに注意すること等を繰り返し伝えながら受験シーズンを迎えます。

初日の1/10は先生の勧めもあり、午前だけでなくその日に合格がもらえる安全校の午後受験もしました。
また1月最後の週末も、受験の間隔を開けないために進学予定のない学校も受験しました。
結局5校受験していずれも合格をもらいました。
これだけ見ると順調のようですが、この頃の第一志望の過去問を解いても結果にばらつきが大きく、算数の正解が問題数の半分にも届かない時もあります。
不安になるものの、もう腹をくくるしかありません。
算数を中心に出題傾向の高い分野を繰り返し解いて、第一志望である海城の一次試験日2/1を迎えます。
試験後の表情はいたって普通で、それなりの手ごたえがあった様子。
2/2の受験会場で息子を送り出した後に喫茶店でスマホを調べるとなんと不合格の通知。
期待が持てていただけにとても残念。
帰りの電車の中でその結果を見せると、第一志望の不合格通知に息子もさすがにショックを受けていました。

家に帰り本人が日能研に電話すると、室長先生から一番上のクラスに上がって頑張ってきたのは海城の二次試験で合格するため、と激励を受けたそうです。
いわゆる御三家校の不合格組も受験する海城のニ次試験はR4偏差値65。
この中で戦うためにクラスUPして1年頑張った。
室長先生の言葉に、確かにその通りだなと私自身も大きくうなずきました。
最後に算数の出題傾向の高い分野を数問解き、その日に受けた受験校の合格通知をパソコンで確認して少し気を楽にして、9時過ぎに就寝しました。  

翌日の2/3の海城二次試験は中学受験を締めくくる最後の試験です。
いつも通り5時に起き、見た目は平常心のまま試験へ向かいました。
試験後の出来は怖くてこの時ばかりは本人に聞けませんでした。
妻に確認すると一次試験よりも難しく二次試験の手ごたえはなかったようです。
仕方ないなと思いながら翌日スマホを確認すると合格おめでとうの文字。
とても驚き、とても嬉しく感じました。
同時に思い出されたのが、駅伝大会の最終トライアル走で最後の出場枠を勝ち取ったことでした。
ラストチャンスで勝ち切る力。教えて成せるものではありません。
小学生ながらたいしたものだと感じました。
同時に4~5年生時のサッカーや、6年生での中学受験と子供に貼りついていた生活習慣の終止符を感じ、感慨深いものがありました。

日能研の先生に感謝したいことは、まずターニングポイントとなった6年時のクラスUPです。
上のクラスの実力がまだ十分備わっていないと思われる状態でも温かく見守って頂き、結果的に第一志望の二次合格に繋げることができました。ここに深く感謝致します。

最後にこれから受験される皆さんに向けて取組んできたことを簡単にまとめます。
体調管理。早起きは苦手なので朝型生活は1月の第二週から実施しました。
また1月から睡眠時間はあえて増やして8時間。
親子とも家の外ではマスクを付け、家の中でも大皿をつつく料理は中断しました。

4教科全般。宿題と週末テストの振り返りで精一杯でした。
テストの解き直しは、次の日までには必ず終わらせました。
算数と理科のできなかった問題は時間をおいて解き直し。これは入試の直前まで繰り返しました。
点数が悪い時は決まって、題意に沿って答えていなかったり、計算が雑だったりお決まりのパターンが見られますが、親が言ってもすぐに改善するものではありません。
途中からテスト振り返りノートを作成し、良かった事、悪かった事、次にやることを自分で書いて、意識を高めていきました。

算数。一番時間を割きました。できなかった日能研のテスト問題を繰り返し解く作業を最後まで続けました。計算が苦手だったので、計算ドリルを唯一購入して一日一問続けました。

国語。宿題と1回限りのテストの振り返りだけでした。
たくさんの記述を強いる先生のおかげで記述力が上がりました。
入試直前まで記述の宿題が出るので、過去問したいのにまだ記述?と正直思いましたが、先生を信じました。
3年間で一番偏差値が上がった科目です。海城の社会の問題は記述のウエイトがとても高いので、この点でも効果的でした。

社会。得意科目なのであまり時間を割きませんでした。
分野ごとに情報をまとめたバインダーを一冊作成し、知識はこれに集約しました。
5年で漫画日本の歴史シリーズを読み、また5年から月刊「Newsがわかる」を購読しました。

理科。正直もう少し時間を割きたかった科目です。
算数同様、日能研のテスト問題の解き直しを入試直前まで繰り返しました。
海城の理科は初見の問題が多いで、過去問を多くこなして慣れておくことをお勧めします。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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