3年生2月から4年生9月まで、4年生10月より合格まで二つの日能研にお世話になりました。第一志望校合格へと導いてくださり、ありがとうございました。
第一志望校がわが子を認めてくれたこと、そしてそこに辿り着くまでの力をつけてくれた、日能研のすべての皆様へ、感謝の気持ちでいっぱいです。
わが家にとっては、教科担当の先生方そしてピアサポーターの方々は勿論のこと、日能研のテキスト、テスト各種、マイニチノウケン、日能研の歩き方、オンザロード、保護者会、個人面談、教室通信・・・、それら日能研のすべてが合格の支えでした。
日能研だけで合格しましたので「日能研オンリー合格」です。
各校の入試日では、「ダサい」と評判高い?Nバックの群れに囲まれて、安心感がもてました。
Nバックはちっともダサくない ! 目立つから、むしろ緊張感や不安感が安らぎます ! Nバックで受験したほうが絶対にいいです。
そしてどの学校の校門前にも、日能研の先生がいてくださいました。公立一貫校にまでいてくださり、嬉しかったです !
入試期間中で私の気持ちが一番大きく乱れたのは、公立二校からの一次合格がわかった時でした。
経済的に決して裕福とは言えないわが家の状況を、娘は勿論先生もわかっていらっしゃったことと思います。こんな親子が私学受験だなんて、ホントに無謀です。日能研の月謝も、私が仕事を掛け持ちしてやっとでしたから・・・。
公立二校の一次合格がわかっ時、私は「あぁ~神様からも、わが家は公立に導かれているんだろう。やはりここで私が軌道修正をして、私立志望から公立志望へとシフトし公立一貫校を受けさせるべきなんだ・・・。あとは娘を説得し、どちらを受けるか決めよう」と、二次の出願をしておきました。
しかしその夜、本人は私学の第一志望校三回目の再チャレンジをしたいと、絶対に折れませんでした。公立二次と私学三回目は同一日の同一時間。第一志望の私立は、それまでの点数開示から、複数回受験の加点があったとしても、合格は相当厳しいのはわかっていました。親として娘へは「あなたの選んだ学校でよい」と言ったものの、私はどうしても合格の近そうな公立一貫校受験を諦めることが出来ませんでした。
その夜は眠れず、とうとう朝になってしまいました。公立二校への詫び状、辞退届を書き終え、いざ提出しようとするも、校門の前から進めません。どうしたらよいか、日能研のクラス担任の先生に電話相談をしました。私は長電話が好きではないのですが、あの時は二十分くらい話したでしょうか。
何を話したか・・・相談だったと思うのですが、その時は気持ちが高ぶりすぎていたせいか、話の詳細を思い出せません。「合格できる方はどちらなのか?」なんて、困らせるような、わかりもしない話を延々としていたように思います。相当私は悩んでいました。貴重な時間を、先生すみません!号泣しながら二校に辞退届を提出しました。
翌朝の三回目試験では、私の不安顔は絶対に娘に見せられません。
もう母は吹っ切れているぞと、朝から「加点があるから大丈夫 ! 」「思いは一番、合格できる ! 」と送り出しましたが、試験の待ち時間中は涙がとまりませんでした。受験者数と実際の保護者の数をみて、これは不合格だと決めつけてしまったからです。
入試結果はその夜出ました。
最低ラインのわずか四点上。ギリギリの合格でした。娘も大声で「やったー !!! やったー !!! 」・・・と。私たちは念願の第一志望校の切符を得ることができました。何年も何年も願い続けた切符です。努力が報われた瞬間でした。
わが家にとっては、もしかしたらこの選択は、より苦しい方を選んでしまったのかもしれません。娘はこれまで以上にしっかり学ばなくてはなりません。そして私はこれまで以上に働かなくてはなりません。ですが、いただいた切符を無駄にしないよう、今までと変わらず実直に、前へ前へ歩みたいと思います。日能研の皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
- ※
- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。