私が日能研に通い始めたのは4年の夏でした。
最初は勉強に全く興味がなく、初めての日能研全国公開模試の偏差値は35くらいでした。
特に算数が足を引っ張り、全然勉強にやる気がでませんでした。
ですが、親からの全力のサポートのおかげでクラス1位をとれたときはやる気がでました。
その日から連続でテスト1位をとることができるようになり、偏差値も35から50後半へと急成長をとげ、Mクラスへ進級することもできました。
そのころに色んな学校を見て回り始めたのですが、その中で1番気に入ったのは横浜共立学園中学校という学校でした。
それから横浜共立学園に受かるため頑張って勉強しましたが、テストでの成績などから,徐々に横浜共立学園が遠くなるばかりでした。
もう少し偏差値が低い学校を志望することもありました。
だけれど横浜共立学園の思いはいつも強いままでした。
6年になると遂に過去問を買い、ユリウスで演習を繰り返しました。
講習や日特は本当に辛かったけれど、これも横浜共立学園のためだと思い、我慢して頑張りました。
そして、いよいよ1月受験。私は10日に開智中学校と開智未来中学校を受験しました。
結果は・・・二校とも合格。志望校ではないにせよ、とても嬉しくて、飛び上がってしまいました。
ユリウスの先生も日能研の先生も喜んでくれて、新たな自信に繋がりました。
気を取り直して、13日。その日は淑徳与野中学校でした。
この学校は塾の先生が強敵と言っていた学校で、R4偏差値は58。当時の私の成績では到底届きません。
ほぼ不合格は確実でした。結果は・・・まさかの合格、でした。嬉しさよりも驚きが上回り、実は今でも信じられません。
塾の先生には「もうそこ行っちゃえば?」と冗談で言われてしまうほどでした。
私自身もそこでいいかなと思ってしまいました。
ですが、この合格が2月受験の結果を左右することになったのです。
待ちに待った2月受験。私はまず第一志望である横浜共立学園と第二志望の三田国際学園を受験しました。先に結果が出る三田国際学園。
結果は、不合格でした。1月受験では見ることのなかった初の不合格を目の当たりにし、涙があふれてなりませんでした。
「一つでも行ける学校があるんだから、いいじゃん」
親はそう言ってくれました。その学校とは、まさに淑徳与野のことでした。
その言葉を聞いた瞬間、ウソみたいに自信が沸き上がってきたのです。
二日目も三田国際を受けましたが、結局はまた不合格。
それよりも私が気になったのは横浜共立学園の結果でした。
結果は・・・・・・合格!今までずっと憧れつづけてきた横浜共立学園の生徒になることができました。
私をこの合格まで導いてくれたのは。塾や学校の先生、両親、友達でした。
本当に感謝しています!
最後に、一つでも行ける学校があるのはすごいことです。
一つの合格がこれからの結果を左右することもあります。
なので、一つだけでも合格を自信につけて、新しい合格を掴んでください!
受験生の皆さん、応援しています!
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- 今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。