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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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海城への道

  • 年度:2016
  • 性別:男子
  • 執筆者:
息子が日能研に最初に伺ったのは3年生の冬期講習でした。
入塾テストでは、息子より悪い点数の子はもう入塾できないというほどの酷い点数でした。
冬期講習ではみんな同じクラスだけど、4年生からは一番下のクラスからのスタートといった具合でした。

塾には行かなかったものの、それまで私が勉強をしっかりと見てきたつもりだったのでショックでしたが、
冬期講習最後のテストでかなり良い点数をとり、結果一番上のクラスからのスタートとなりました。

当初は海城中学を希望しており、そこに向かって頑張っていました。
成績はMクラスの真ん中くらいでした。(5年生年間平均偏差61)

前期日特は受講せず、後期日特の学校を選ぶ時に、突然息子が「駒場東邦に行きたい」と言いました。(6年前期平均偏差64)
塾長とも相談した結果、海城は駒東とも問題の傾向が似ているし、駒東の日特に行って、もし見込みがないようであれば途中で志望校を海城に変えようということになりました。

6年後半、息子はとてもよく頑張りました。
平均偏差67をほぼキープし(69の時もありました)、前期と合わせた年間平均偏差は66でした。
駒東のR4が67なので、それを考えればいけるのではないかと期待していましたが、過去問では全く点数を取れていませんでした。

併願校のラ・サールに合格であれば駒東を受験し、不合格なら2月1日は海城を受験する予定でいたのですが、ラ・サールに合格したので、駒東を受験することになりました。
(ラ・サールは大変すばらしい学校で、ここに行ってもよかったと今でも思っています。)

駒東の結果は不合格。

ショックで息子も泣いたし、私も寝るときになって涙が止まりませんでした。

ですが、翌日の2月3日は海城2次です。
涙腺が緩んだままの私は、日能研の先生方が当日の朝、校門で握手をしてくださる姿を見るだけで、またすぐに涙が出てくる有様でした。

2月4日
海城は合格でした。
当初から行きたかった学校なので、ものすごく嬉しかったし、こんなふうになる運命だったのだと思いました。

受験から1か月たった今は、頑張った3年間を懐かしく思い、多くの得難い経験を家族でできたことに感謝をしております。
家族の総力戦であり、あれだけ一丸となって目標につき進むことは、今後ないと思います。

第一志望校は残念でしたが、あれだけ頑張ったので後悔はありません。
海城で頑張り、大学受験で今度こそ、目指すところに合格させたいと思います。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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