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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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激動の4日間

  • 年度:2020
  • 性別:女子
  • 執筆者:
2/1からの四日間。娘の受験は、日能研の先生方と一緒に駆け抜けた四日間でした。

2/1、第一志望の女子学院の試験後、午後受験校に向かう途中で「算数の三枚目、さっぱり分からなかった・・・・・・。」そう呟きました。
それをきっかけに、ポツリポツリと良くなかった手応えと反省点を話し出す娘。
午後の算数一科はとにかく丁寧に、が最大のポイントで、このままの精神状態で受験させる訳にはいかない。
どんな言葉をかけようか必死で考えました。
受験校へ向かって坂を上っていくと塾関係の人の列が見え、入口すぐそばに大好きな算数の先生がいらっしゃいました。
「いつも通りにやれば大丈夫。」と声をかけて頂き、固く握手をして会場へ入りました。
一瞬で娘の表情が落ち着き、その日の夜遅く、合格を頂くことができました。

2/2、洗足学園の受験終了後、すぐに女子学院の合格発表があり娘の第一志望への夢は断たれました。
娘の気持ち、明日以降への気持ちの切り替え、親にはどうしたら良いか分からず、塾へ向かいクラス担当の先生にお任せしました。
そのまま塾で自習をして夕方迎えに行くと、一月校の不合格の時と同じく、先生は娘の悲しい、悔しい気持ちを吐き出させ、次へ向かう強い気持ちを引き出して下さいました。

その日の夜、洗足学園の不合格が分かり、本人に塾への報告の電話をさせました。
クラス担当の先生は手が離せず、その場で待機されていた国語の先生に不合格を伝えました。
すると、国語の先生なのに丁寧に四教科すべての様子を本人に振り返りをさせ、苦手な算数で取るべきなのに落としたところを見直すこと、理科と社会の時間配分について作戦をしっかり立て直すこと、とアドバイスをくださいました。
そして、この不合格により2/3は鷗友学園の受験へと変更になりました。
国語が不安で、何度も先生に添削をお願いした学校でした。電話の最後に、「落ち着いてやれば必ず合格できるから、頑張ってきなさい。」と言葉をかけて下さいました。
先生からのアドバイスを受け、急いでその日の試験をすべて振り返り自己採点をすると、合格点にわずか4点足りなかったことが判明。
5日にリベンジを果たすと誓い、そこからの残り3日間を走り抜く決意を固めました。

迎えた2/3、国語が揮わず、算数で挽回しないと後がない、と2/1の女子学院の試験の時にはできなかった「解いた問題を見直して、ミスを修正する」をやり遂げた、と話してくれました。

2/4は、2/3、4と二回受験をして少しでも合格可能性が上がれば、と思っていた豊島岡でした。
連日5時起きで体力も限界に近付きつつあり、2/5の洗足学園リベンジの為に受験を取り止めても・・・・・・と思いましたが、娘は何の迷いもなく「行く」と一言。

2/4、所属校舎から受験するのは娘だけなので、知っている先生は誰もいないかな、と思っていましたが、いつもと変わらずニコニコした社会の先生がいらっしゃいました。
一言二言、言葉を交わし、思わぬところで力を頂きました。
試験終了とほぼ同時に鷗友学園の合否が分かることになっており、待ち合わせ場所で2人で父からのメールを確認し、ようやく娘の顔に笑顔が戻りました。
その足で塾に向かい、翌日に向けた最後の対策の為のプリントを頂き、その場にいた先生全員とハイタッチをして激励して頂きました。

その日の夜7時。明日の準備をして夕食を食べ、最後の最後にもう一度算数に取り組む前に一応今日の合否を確認しておこう、とホームページを確認するとそこに娘の受験番号がありました。
合格可能性30%を勝ち取った瞬間でした。娘がすぐに塾に電話をすると、電話の向こうから先生方の拍手が聞こえたそうです。
翌々日、校舎に挨拶に伺った時も、その場にいた先生方全員が笑顔で迎えて下さいました。

先生方のお力無くしては、決して乗り切れない過酷な四日間でした。
そして、この四日間の数々の力強い言葉は、三年間近くで娘の様子を見守り続けていただいたからこそ、娘の心に響いたのだと思います。

教科担当の先生方、教室スタッフの先生方、本当にお世話になりました。
最後の最後に、一緒になって合格を喜んで頂いたこと、本当に嬉しく思いました。
三年間ありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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