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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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先取り学習ゼロからの中学受験

  • 年度:2020
  • 性別:女子
  • 執筆者:
私も通っていた日能研から,入室テストのご案内が届きました。先取学習を全くしていない娘はどの程度の力があるのかと、軽い気持ちで受験させたことから中学受験は始まりました。小学校入学当時はひらがなも書けなかったので、入室できることになった時はとても驚きました。

「勉強が楽しい ! 」と自らすすんで学習していた4年生、授業も苦手な所だと適当に流してしまった5年生、そしてこのままではダメだと気づき挽回しようと励んだ6年生。成績はどんどん下降し、何度も退室を考えましたが、一度も辞めると娘は言いませんでした。
時間はずいぶんかかりましたが、9月末ごろまでに算数の基本は一通り出来るようになりました。割り算もスラスラ出来ない状態での入室でしたので、成長を感じました。

入試問題演習に入ると、得意なはずの算数がなぜかできず、本人は落ち込んでしまいました。そうした時期に先生が、親身にノートをチェックして下さり、毎回たくさんのアドバイスを書いて下さいました。お陰で娘は一生懸命練習を続けることができました。
そうしてようやく12月に入った頃から、やっと正解が増えてきて、少し自信を取り戻した様でした。時間はあまりないのですが、娘は全く焦ることもなく、1月受験に臨んでいきました。

最初の学校は余裕があったはずでしたが、私は全く眠ることができず、当日を迎えることになりました。娘は平常心でよく眠れた様子で、入試に向かいました。結果は合格。ホッとしました。
次の受験日も娘は焦ることがありませんでしたが、結果は残念ながら不合格でした。
この不合格になってしまった結果から、娘の勉強に対する姿勢が少し変わりました。計算と漢字のミスが減り、間違えた問題が○になるまで勉強を中断しなくなりました。時間が少しあるからと、夕食の準備が全て整うまで机に向かうようにもなりました。

小学校へは1月30日まで毎日通い、学校の宿題も全てやっていました。それ以外の時間は一人で机に向かってメモリーチェックや漢字、国語の読解問題など、時間を計りながらやっていたようです。
私ばかり、あと○日しかないと焦り、眠れない日が続いていましたが、娘はマイペースで焦ることなく勉強していました。
1月31日、初めて学校を休みました。一人で自宅学習することを心配した祖母が、様子を見に来てくれましたが、ものすごく真剣に勉強していたそうです。祖母は、大丈夫なのか?ととても心配していました。

2月1日、娘は合格したかった第一志望校の問題がほとんど解けず、もやもやしたまま午後の学校へ。昼食時は口数も少なく、メモリーチェックをひたすら見ていました。結果は、AMは×、PMは○でした。翌朝「合格おめでとう」をプリントしたものを机に置いておきました。

2月2日AM、もう一度チャレンジ。今回はできた !! という感触だったようです。PMは偏差値ではチャレンジ校ですが、得意な教科での受験のためリラックスしていました。結果はAM×、PM○。この日も「合格おめでとう」をプリントアウトしておきました。午後が合格だったので、2月3日は公立中高一貫校を受験することができました。
あと1日、第一志望校の受験が2月4日に残っています。ベストをつくせるように、自分なりに対策をして臨みました。結果は不合格。今までケロっとしていた娘が涙を流し、家族で泣きました。4年生の頃から行きたかった、一番着たかった制服は着れなくなってしまいました。娘は「途中、ちゃんとやらなかったからなぁ」、5年生の分の挽回は厳しかったと反省していました。

進学先は二つの学校で悩み、塾の先生に相談しました。受験前は余裕のある学校へ入学すると、勉強をあまりやらずとも済んでしまう懸念から、チャレンジ校を受験したのに不思議でした。
先生は「どちらにしようか悩まれるということはとても良い学校選びをされたんですよ」と言って下さり、私は一人でまた泣いてしまいました。結局チャレンジ校への進学を決めました。
祖母の母校へとはならず、同じ制服を見せてあげることができませんでしたが、娘の1月受験不合格からの約10日間のがんばりで、チャレンジ校の合格を頂くことができました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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