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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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ご縁に導かれて

  • 年度:2017
  • 性別:女子
  • 執筆者:
2月4日の19時。
娘の憧れ校の3回目の試験の合格発表で、不合格が確定したところで、娘の中学受験は終わり、2月1日にご縁をいただいた横浜雙葉中学校への進学が決まりました。

小学校3年の9月から通い始めた日能研。
ご縁をいただいた学校は、通塾のきっかけにもなったディスカバリークラブのイベントでの体験授業で、初めて私学のすばらしさに触れた学校でもありました。
以来、文化祭やオープンスクール、学校説明会、私学のナカミを知る会など、様々な機会に足を運び、親としては「ぜひ横浜雙葉に」という思いを強くもっていました。
娘も大好きな学校の一つではありましたが、4年生のときに私学フェアで知った、豊島岡女子学園にも憧れを抱くようになり、最後の最後まで、どっちも第一志望、という気持ちでいたようです。

とはいえ、R4偏差値で見る限り少し開きもあり、また問題傾向も若干違うため、どちらかに絞った方がよいのでは・・・と親として思っていましたが、本人の気持ちが固いため、日能研の志望校相談でも、憧れ校を目指しつつ、手堅く横浜雙葉に合格できることも考えるという方向性になっていきました。
そのため、後期日特は受験を考えていなかったフェリス日特に参加し、豊島岡女子学園と横浜雙葉の両方の対策を取ることになりました。
フェリスを受験してほしい、という気持ちもあったかと思いますが、娘の意思を尊重してくださった日能研のスタッフの皆さまに感謝です。

豊島岡女子学園の算数が難しいことから、根気強く算数の過去問対策を先生にもしていただきました。
計算ミスが多く、解答のみを記載しなくてはならないため、なかなか成果は上がらず、親のほうが焦ってしまいましたが、娘はそれにもめげず、毎日のように過去問を持っていきました。
1月入試も1勝1敗という想定内の結果に終わったころ、ようやく4科目で合格最低点に届くようになっていました。
(実は母だけが埼玉入試の直後にインフルエンザに罹り、隔離生活になりました・・・。終わってみれば笑える話ですが)

そして迎えた2月1日。
午前中の横浜雙葉の試験。日能研の応援の先生方が、緊張している娘に「いい顔をしてるから大丈夫!」と声をかけてくださり、「できる!」という気持ちで試験に臨めたようでした。
手ごたえはあったようですが、あまりはっきり「できた!」という反応ではありませんでした。
午後の清泉女学院の試験。
早い時間にどうしても行きたい、というので昼食は電車の中でおにぎりを食べる、という状況でしたが、到着してみると、通塾している教室の先生方や以前お世話になっていた先生方が応援にいてくださいました。
力強くハイタッチをして会場に入っていった娘。そのときも手ごたえを感じたようでした。
夜の合格発表を見て、安心して翌日の豊島岡女子学園の試験に臨めるはずでした。

2月2日。
かなり早い出発になりましたが、朝食を軽くとり、出かけたところまではほぼ予定通りでした。
しかし、電車の中で気分が悪くなり、嘔吐するというハプニングが起きました。
なんとか池袋駅まで到着したものの、嘔吐は止まらず、学校に着いてから様子を見ながら受験をする、ということになり、結局保健室受験ということになりました。
午後に入れていた試験は受験を取りやめ、受診して翌日の試験に備えることにしました。
娘が保健室受験で試験と嘔吐と闘っている間に、インターネットで横浜雙葉の合格発表がありました。
結果は合格。大変な状況の中での合格に、それだけでもご縁をいただいたと感じずにはいられませんでした。
合格を知らせ、病院に行った娘はあっという間に回復し、また翌日も早朝から豊島岡女子学園を受験することに。
その日も結果は残念でした。
2月2日のときは残念な結果に泣くだけの気力も体力もなかった娘でしたが、2月3日の不合格はつらかったようで、大声で泣きました。
そして、翌日も頑張ると、3日連続で豊島岡女子学園まで行くことになりました。

2月4日の朝。
本人の体調は万全だったのですが、今度は電車の人身事故に巻き込まれることになりました。
武蔵小杉駅で偶然止まっていたので別の路線に乗り換え、なんとか学校までたどりつき、受験をしたのですが、終わって出てきた娘は「ダメだったな、きっと」と悟ったような感じでした。
結果はやはり残念なものでしたが、娘としては横浜雙葉に行く、という気持ちが固まったようで、母としてはすがすがしささえ感じていました。
娘にとっては憧れの学校だったわけですが、体調不良や人身事故など、つくづく縁がなかったということだと思います。
そして、困難な中で横浜雙葉への合格がわかったことに、「横浜雙葉に行くといいよ」という不思議なお導きがあったようにも思えます。

憧れ校への合格、とはなりませんでしたが、憧れ校へのチャレンジがなければ、横浜雙葉への合格もなかったと思います。
なかなか思うような成果が出ない中でも、根気強く娘に関わってくださったスタッフの皆さまに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これから受験を迎える皆さまにも、よいご縁がありますようお祈りしています。
本当にありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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