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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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「浅野への道 ~その先に見えたものは~ 」

  • 年度:2017
  • 性別:男子
  • 執筆者:
「自分の力を信じて、最後までやり抜く大切さ」を実感した中学受験でした。

息子は小学四年生の春から日能研に通い始めました。
当初はM1クラスからスタート。授業、復習、カリテを繰り返す2週間のスケジュールが上手く機能し、順調にM2クラスにクラスアップしました。「計算と漢字」や「一行題」は、旅行に行った日も病気になった日もかかさずコツコツ毎日頑張りました。

しかし、六年生になった時にM1クラスにダウン。思考力が必要な問題、記述量が多い問題に苦戦しました。特に、六年生の夏休みは、勉強量を増やしても成績が伸びず、「中学受験なんてするんじゃなかった」と愚痴る日もありました。

四年、五年生の間に説明会や学園祭にたくさん足を運び、志望校は、浅野と海城に決めました。
秋ごろから過去問をはじめましたが、当初、全く点数がとれませんでした。特に、算数、海城の社会(記述)に苦戦。息子のやる気スイッチもなかなか入らず、苦しい日が続きました。
1月は、ひたすら毎日過去問を解く日々。本当に苦しかったと思いますが、泣き言も一切言わず頑張っていました。終盤、受験校の過去問は、ほぼ合格最低点をクリアーできるようになっていました。

1月受験は、合格の喜び、1点の重みを実感できるように、2勝1敗になるよう計画しました。
結果、栄東〇、栄東(東大)〇、市川×でした。1月31日は、「やるだけのことはやった。これだけやって不合格なら運がなかっただけ」「人事を尽くして天命を待つ」と息子に伝え、21時に就寝しました。

2月1日の午前は海城、午後は東京都市大附属を受験しました。2月1日の23時に都市大附属の合格発表がありました。結果、Ⅱ類合格ではなくⅠ類合格。2月2日は、聖光学院と都市大附属Ⅱ類のダブル出願をしていましたが、安全策を取り、都市大附属Ⅱ類を受験しました。

海城の合格発表は、2月2日9時校内掲示。私が見に行きました。西早稲田駅から海城までの道中、緊張で胃がキリキリ痛みました。掲示の番号を祈るように確認。しかし、何回探しても息子の番号はありませんでした・・・。「あれだけ頑張ったのに合格させてあげることができなかった」と悲しくて申し訳なくて、涙がとまりませんでした。

2月3日は、第一志望の浅野。海城不合格のショックを引きずらないように、「終わったことは忘れて、気持ちを切り替えること」「浅野に合格すればいい」「絶対に大丈夫」と息子に言葉を掛けました。試験後にテストの出来を聞いたところ、「合格は50%くらい」と。
「第一志望~第三志望まで全て不合格」という悪夢が頭をよぎり、正直不安でした。

2月4日、息子はサレジオ学院の受験に。私は家で浅野の合格発表をネットで確認。9時に受験番号を入力し確認したところ、「合格おめでとうございます」の文字が目に入りました。うれしくて涙がとまりませんでした。サレジオ学院の控え室にいる妻にメールで合格の報告をし、私もサレジオ学院に向かいました。12時30分過ぎ、試験を終えて出てきた息子に、「浅野合格」を報告。親子で抱き合って喜びました。翌日、サレジオ学院の合格も確認し、中学受験はすべて終了しました。

2月1日から2月4日までは、毎日5時起床で、午後受験も含めて五校を受験。精神的にも肉体的にもかなり過酷でしたが、不合格は海城だけでした。浅野合格を信じて、最後の一分一秒まで頑張り抜いた息子を誇らしく思います。3年間コツコツした努力は、決して裏切らなかった。

4月からは「文武両道」「質実剛健」で、浅野でのスクールライフを思いっきり楽しんで欲しいと思います。まだ幼かった息子をこんなにたくましい男子に成長させてくれた日能研に心から感謝申し上げます。思わぬ長文になってしまいましたが、ここまで読んでいただいた方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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