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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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目標を高く、諦めないこと

  • 年度:2016
  • 性別:女子
  • 執筆者:
2月2日の夜7時、長かった2年間の受験生活があっさりとピリオドを打ちました!
「え、これで終わり? 明日受けなくていいの?」母娘とも3日も、4日も志望校に合格するまで、
とことん挑戦していく心構えでした。

娘が5年生の秋に、豊島岡女子学園の文化祭に連れて行きました。
化学部コーナーや、英語演劇など、生き生きしているお姉さん達を見て、娘はこの学校に憧れを持ちました。
校舎のエントランスホールの前のキラキラのシャンデリアにも一目惚れし、
「ここに決めた!」と娘が言いました。
志望校を決めたのはよかったのですが、肝心な成績はパッとしませんでした。
親としては、併願する第二志望校を塾の先生と相談しながら、慎重に選ぶ事にしました。
娘が6年生になり、WクラスからMクラスに上がりましたがすぐに落ちて、
1ヶ月で這い上がりましたが2ヶ月後また落とされ、悔し涙を何度も流しました。
結局夏休みに入るまでWクラスのままでした。
Wクラスに居ると上位でしたが、Mクラスだと付いていけない状態でした。
「M0クラスでも作ってくれるといいのに!」と、本人は半分本気で言っていました。
このままでは豊島岡女子は厳しいと本人も自覚し、夏期講習の間はほぼ毎朝塾の自習室に通い、
夜の講習が終わるまで頑張っていました。
その努力の甲斐もあり、9月からMクラスに上げてもらいました。
娘の可能性を見出してくれていた塾の先生方に、大変感謝しています。

その後の模試も引き続き大きな起伏がありました。
時には先生の叱咤を受け、時には丁寧な指導をして頂き、
負けず嫌いな娘は、12月の最後の模試で自己最高の成績を取ることができました。
入試までのラストスパートでは、好きな算数を徹底的に頑張りました。
塾の先生が銀本を難易度レベル別にまとめた資料を用意してくれました。
豊島岡女子に合格するには絶対に落とせないレベルの問題をノートに集め、とことんやりました。

1月は塾の先生のお勧めで、埼玉、千葉の計3校をお試し受験し、すべて合格できました。
これで大きな自信が付きました。
各校のテストの再現答案を作り、出来なかった問題を見直しました。
重要なところに弱点がないかチェックになりました。

なお、これらの合格で気を緩めて、浮いてしまわないよう、
娘に「本番は2月、勝負はこれからだ!」と何度も言い聞かせました。
祖父母への合格の報告も私からのメールのみで、娘には電話をさせませんでした。

迎えた2月1日、午前と午後で併願した2校から合格を無事頂きました。入試の第一歩を順調に踏み出せました。
これで2、3、4日までの豊島岡女子の入試にとことん挑めると思いました。
2月2日の早朝、まだ薄暗い中、体の小さい娘がしっかり前を見て歩いている姿がとても印象的でした。
母親に出来ることは、横にそっと付き添ってあげることだけでした。
試験が終わっても、何も聞かないように心に決めていたので、娘とは他愛のないことを話していました。

2月2日夜7時に、豊島岡女子のHPの合格発表のページを開いたところ娘が「あった!」と叫びました。
娘は自分が合格したことが信じられなくて、何度も何度も受験票の番号を確認していました。
「よくやった! 本当によくやった!」私は思わず、娘を抱きしめました。

2年間の受験生活を振り返ると、娘は自分の偏差値に縛られず、
心の底から自分が行きたい学校を目標としていました。
これが今回の受験の最大の勝因と言っても過言ではありません。
苦しい時でも、目標がはっきりしていたので、頑張る原動力になったと思います。
母としては、豊島岡女子の文化祭に一緒に行き、内心ではここを選んでくればよいと考えておりましたが、やはり模試の偏差値に左右され、とても不安でした。しかし、第一志望を変えようとは言いませんでした。
娘を信じて、経験豊富な日能研の先生方の力を信じて、挑戦させました。
合格した時の喜びと感動は、言葉では言いつくせません。

きめ細かくご指導してくれた先生方、激励してくれた先生方、大変ありがとうございました。
受験生のみなさん、志を高く持ち、最後まで諦めないで頑張ってください。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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