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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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一生忘れられない日

  • 年度:2018
  • 性別:女子
  • 執筆者:本人
私が海外(英語圏)から帰国して最初に受けた4年生4月の公開模試は、4科偏差値35でした。

それからは日能研へ通って授業をよく聞き、自宅でも勉強をがんばりました。
母も一生懸命手伝ってくれて、わかるまで説明してくれました。
2か月後、算数でクラス2位を取ることができたときは、母とすごく喜びあいました。
次第に私は勉強するのが楽しくなってきました。
総合でもクラス1位を取ることができるようになり、4年の冬にMクラスに上がることができました。
Mクラスのみんなはとても優秀で、私にとってとても刺激になり、授業がとても楽しかったです。
そして5年の半ばについにMクラスで1位を取ることができました。

そんな中、私は5年生の7月に豊島岡女子学園の1日体験に参加しました。
体験授業で先生がとても面白かったこと、コーラス部のクラブ体験で生徒の方たちが優しく、また生き生きとしていてとても楽しそうだったこと、校舎が明るくてとてもきれいだったことから、「豊島岡に入りたい」と強く思うようになりました。

私は、帰国子女だったこともあり、算数は得意でしたが、国語が苦手でした。
6年生になっても国語はあまり良い成績がとれず、特に豊島岡の国語の過去問はなかなか良い点数を取ることができませんでした。
そのため、6年生の後期になっても言葉の意味調べを毎日欠かさず行い、入試までに少しでも多くの言葉を覚えられるようにがんばりました。

2月2日。ついに第一志望の豊島岡の入試日が来ました。
この日は朝から冷たい雪でした。
すでに進学できる学校から合格をいただいていたものの、やはり第一志望の豊島岡の緊張感は特別でした。
この日、苦手だった国語に今までにない手ごたえがあり、少し期待をしながら19時の発表を待ちました。
しかし、結果は不合格。
豊島岡は2日の第一回が一番合格可能性が高く、2回と3回は募集人数が少なくなり、かなり厳しいと分かっていたので、この夜は絶望的な気持ちでした。

2月3日。この日の朝は前日の涙で顔がはれたまま豊島岡へ向かいました。
校舎前にはたくさんの塾の先生たちが応援に来ていました。
その中に校舎の室長先生が手を振ってくれている姿が見えました。
不安でいっぱいだった私に激励と握手をしてくれて、とても嬉しかったです。
試験終了後、日能研へ行くと、先生たちが翌日の試験に出題されそうな範囲を古い過去問から集めてくれていました。
私はとにかくそのプリントを解きまくりました。
19時。この日は算数に自信があり、前日よりも期待してしまったものの、またしても不合格。
もう後がない。私は不安で押しつぶされそうでした。

2月4日。3日連続の豊島岡へ。
豊島岡を受験できる最後の日。
朝、学校へ向かう途中、室長先生から電話をもらいました。
「最後まで集中するんだよ。今日を一生忘れない日にしようね。」と言ってくれました。
学校へ入り、受験生と保護者が別れる場所で、母が「自分の精一杯を伝えておいで。この学校は最後まであきらめない子を必ずとってくれる学校だよ。」と言ってくれました。
11時40分、テスト終了。今までで一番の出来でした。
それでもものすごい受験生の数。自信はありません。
19時。結果が怖くて見れなかった私のそばで、母が「あった!!」と叫びました。
信じられなくて、何度も何度も番号を確認しました。
気付くとみんなで涙していました。

2月2日、3日、4日、毎日涙が出たけれど、最後は嬉し涙に変えることができました。
先生が言った「一生忘れられない日」が本当のことになりました。
この中学受験であきらめずに必死でがんばり続けることの大切さを学びました。
家族と先生に本当に感謝です。
ありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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