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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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母がいたから、、、

  • 年度:2019
  • 性別:女子
  • 執筆者:本人
私が日能研に入ったのは、5年生の11月ととても遅い受験スタートでした。
私は、その時は、塾に行ってもただ授業を受けているだけのような感じで、もちろん成績も伸びなかったです。
しかも、塾に1、2人しか友達がいませんでした。

そんな私の気持ちが変わったのは、6年生の夏。
それまで親がいつも車で迎えに来てくれていましたが、電車で帰るようになり、友達がいつの間にか増えていきました。その時、友達が頑張っているのを見て、私も受験生なんだ。本気でやらなきゃいけないんだ。と思うようになりました。
そこからの勉強へ対する気持ちも、先生に怒られるから宿題をやろうとかではなく、自分のためにやろうと思うようになりました。もちろん、そこから頑張ったので、成績がぐーーんと上がっていきました。

そして、11月。
私は帰国子女だったので、k中学校の帰国生入試を受けました。
塾の先生からは受かるだろうと期待されていたので、自分自身もうかるだろうと思っていました。
けれど結果は、不合格。
原因は、極度の緊張でした。
私は、そこから気合を入れなおして、母と共に頑張りました。

2か月後の1月。
私は、s学園中学校を受けました。
11月のこともあり、こんどは緊張しないように公開模試だ。と思って挑みました。
結果は、合格。
とてもうれしかったし、安心しました。

そこから、約2週間で迎えた2月1日。
第一志望のh大学中学校を受けました。
やっぱり第一志望の学校とあるだけ、極度の緊張が私を襲いました。
そして、午後は11月に落ちたk中学校を受けました。
h大学中学校は自信がなく、k中学校は自信がありました。
そしてその日の午後10時、両学校の結果が出ました。
やはり予想していた通り、h大学中学校は不合格。k中学校は合格でした。

一度落ちた学校に受かることができても、第一志望の学校が落ちていたので、不安な気持ちで迎えた2月2日。
1日にk中学校に受かったので、y学園だけ受けました。
そこの入試会場で、学校の友達に出会い、緊張がほぐれました。
その日の6時結果が発表されました。結果は、合格。
私は、受かるのか心配だったので、安心感に包まれました。

そんな調子で迎えた3日。
第一志望のh大学中学校と、s中学校を受けました。
h大学中学校は1日よりもうまくいきましたが、心配でした。
s中学校は、過去問の結果が悪かったので、あまり自信がなく受けたくないと母に言いました。
しかし母が、「とりあえず受けてみなさい」といったので、受けることを決意しました。
その結果。
h大学中学校はやはり不合格。
しかし、s中学校は予想と反対に合格でした。
s中学校の合格は嬉しかったですが、h大学中学校の結果が悔しくて4日は苦手な理科を中心に勉強しました。

そして迎えた5日。
不安でいっぱいだった私に母が、「人生はここで終わりじゃないよ。まだまだ先がある。だからh大学中学校に受からなかったとしてもそこで終わりじゃないよ」と言ってくれました。
そこで、緊張が和らぎました。
さらに、学校につくとクラス担当のn先生がいました。
なんと私のためだけにわざわざ来てくれたのです。
そこで感じたのは、日能研の先生方の温かさです。
母にかけてもらった言葉と、先生の温かさを胸に秘めて、入試に挑みました。
結果は不合格でした。

皆さんは、最後まで入試を受験する意味があるの?とか思うかもしれません。
でも、私は最後まで入試を受けてよかったと思いました。
なぜなら、私の進学先はs中学校に決まったからです。
なぜ、そこに関係があるかというと、先ほど言ったように、私が受けないほうがいいといちど思ったからです。
その時、母が私に「受けてみよう」と言わなかったら私はs中学校に進学することにならなかったからです。
だから、私が中学受験で母の力の大きさを知りました。

皆さんは、中学受験本番になったら、ご家族に感謝の気持ちを表してあげてください。
受験は失敗もあります。
でもその時、一番支えてくれるのは、家族です。
だから、ご家族のかたを大切にしてあげてください。

「人生ここで終わりじゃないよ。まだまだ先があるよ。」
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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