入塾テストの点数が基準に達していなかった中で、入塾許可をいただきA1クラスで2年間お世話になりました。
5年夏頃までは、宿題が終わらず授業もノートをとるのがやっとでした。
6年になってからは最低限の宿題、提出物は何としてでもやろうという意気込みは出てきましたが、趣味に時間をかけてしまい、ギリギリにならないとやらないというのは、入試直前まで変わりませんでした。
そのため、クラスが上がることはなかったですが、A1の上位はキープできるようになりました。
また、日能研へはほとんど欠席、遅刻もせずに通い、先生からノートコピーを頼まれたとか、授業中に声をかけられたとか、小さなことで嬉しさを感じていた様子でした。
家では、趣味の合間に勉強という雰囲気にしか見えなかったので、入試の結果もさほど期待はしていませんでした。
最終的に志望校を決めたのは6年秋~冬頃だったと思います。
7試験(5校)を受けることに決めました。
模試の偏差値より+5程度の試験がほとんどでしたが、結果は1校落としたのみで4校合格でした。
1月の埼玉受験が思いがけず受かってしまい不合格を経験していないことが不安でしたが、2月1日の午前(第一志望)、午後(第二志望)を落としたことで、本気を出さなければ!!という気になったようです。
また、1日の午後は疲れて眠くなってしまい集中できなかったとも言っていました。
雪が降った2日に再度、第一志望校を受けに行き、校門に立っていらっしゃった教室の先生に「これからだよ!元気だしてね」と握手したときに声をかけてもらいました。
また、前日に不合格の結果を電話で連絡したときにも、的確なアドバイスをもらえたようでした。
その日は、私は仕事のため控室で待つことはできなかったので試験直後の様子はわからないのですが、別の学校の午後入試の帰りに待ち合わせて帰る途中の電車の中で、午前の第一志望校の合格を確認しました。
本人曰く、「むっちゃ真剣に解いたもん!」とのことでしたが、今までの日能研でのテストは何だったのか、と問いたい気持ちになりました。
考えてみると、子どもは家で先生の話をわりとよく話していました。
とにかく最後の最後で拠り所となったのは、教室の先生方だったと思います。
(合格手ぬぐいも大事にしていました)
先生方には、大変感謝しております。
心よりお礼申し上げます。
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