我が子の学力、性格、教育理念等々を考慮のうえ、小学校5年生の時に文化祭に行き、
学校の雰囲気、通いやすさも確認、第一志望校を芝に決めて、受験勉強を本格化させました。
残念ながら息子の偏差値では、当時は到底困難な目標で、6年生最初の公開模試では、
志望校まで10以上の偏差値の開きがあり、その後も少しずつ改善はされたものの、一喜一憂の日々。
夏期講習前の模試で大幅に改善が見られたものの、7月には第一志望を変えた方が良いのかどうか、
本当に悩みました。
ただ息子はいたって元気で日能研に通うことも苦とせず、夏期講習も嫌がることなく通い、今思うと、
本人が日能研生活を楽しんでいたような気がしてなりません。
ひとえに日能研の先生の方々、スタッフの方々のお陰だと思わずにいられません。
9月以降、日曜日は日特に通い、ほぼ毎週テストを受け、過去問やテストのふり返り、
計算と一行題、漢字、メモリーチェックに勤しみ、親は学校説明会への参加と多忙な毎日を過ごしました。
日特では過去問を解き、少しずつ手応えが感じられるようになってきました。
12月23日の最後の公開模試でも、試験会場が芝で、本番さながらの状態の中、
好成績を収めることができ、「早く受験しちゃいたいね。」などと軽口を叩くくらいになっていました。
そして、いよいよ1月。
埼玉受験で合格を勝ち取り、続けて千葉受験をチャレンジ校に変えて臨んだところ、見事に不合格。
これまでの調子からすると合格できるのではとやや高を括っていたところがあり、息子本人としては、
それだけにショックも大きかったようです。「このままではまずい。。」と心の底から本人は思ったのでしょう。
過去問、不得意分野の復習をもう一度やり直し、2月1日を迎えました。
試験が終わった後、本人曰く、「理科ができなかったぁ。。だめかな。。」と言っていました。
不合格を覚悟し、2回目受験の願書を準備して、合格発表会場に臨みました。
2月2日午前10時に、講堂の檀上の垂れ幕が引き上げられ、合格番号が発表されました。
我が子の受験番号はと探し始めると、一番上の列に、見事に記されていました。
小さくガッツポーズをした後、これまでの道のりが思い出され、溢れんばかりの涙が出てきました。
本当に我が子はよく頑張ったなとしみじみ感じた瞬間でした。
2月2日も受験をしていた息子に、試験が終わった後、校門を出たところで2月1日の結果を伝えると、本当に喜んでいました。2月1日は4科目めの理科ができなかったけど、実は国・算・社の3科目の出来栄えに自信があったようです。我が家の中学受験は2月2日で終わることになりました。
千葉受験の不合格があったから良かったとも思いますが、やはり最後は本人が実力を出せたことが一番、
病気もせず、家族一丸となって取り組んだ結果だったのではないかと思います。息子の受験番号を見つけた瞬間を生涯忘れることはないでしょう!
日能研のスタッフの皆様、いろいろとご指導頂き、本当にありがとうございました。
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