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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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合格までの記録

  • 年度:2020
  • 性別:男子
  • 執筆者:
息子が日能研に通い出したのは2年生の2月(新3年)。当時学研に通っていましたが辞めずに、4年の前期まで日能研と平行して通っておりました。3年は偏差値が出ませんが、4年で初めての偏差値が出て4科目で60、Mクラスでスタートでした。

安定していた成績がぐらぐらし始めたのは5年後期辺り。
5年後期は最も辛い半年、耐える半年と聞いていましたがそのとおりの印象。座席もMクラスの一番後ろということが何度かあるというのに、当の本人は危機感を感じる様子がなく、ゲームや動画視聴をやめることができない日々。
気をもんだ私は入塾からずっと見ていただいている先生に「授業内容の理解が甘いのではないか、クラスを落としてくださっても構わない」旨を話しました。しかし、先生は「そこまでではない」と仰って、息子を呼んで何かお話になったようでした。
先生がどんな手をお使いになったのか私にはわかりませんが、それ以降はMの真ん中辺りで成績をキープできるようになって、先生には生徒にどう働きかけたらうまくいくのかおわかりになっている様子だったので、それ以降も信頼を寄せてお任せするようになりました。

志望校登録をして臨んだ12月24日のプレ合格判定テストでは4科目偏差値69。年明けの全国公開模試でも社会科で100点満点を取り絶好調、波に乗ったようにみえました。

しかしその後はあまりぱっとせず、それでも6年後期日特では早稲田日特に入ることができました。
日特基準をクリアできた安心感もあったせいか、天王山と言われる6年の夏休みになっても、なかなか本腰が入らないようでした。つまり受験生にはまだなりきれていなかったのです。
ゲームも続けていましたし、一度も自習室を利用することもなく、自宅学習のみ・・・。勉強してはゲーム、勉強してはテレビを見る、そして時間が来れば日能研に行くといった毎日を過ごしていました。やるべき最低限のことだけはやっているという、そんな夏期講習があっという間に終わってしまいました。

このような調子でしたから、9月最初の会場版公開模試の結果は振いませんでした。またこのとき、日特のクラスが3番目だと分かり、基準ぎりぎりの成績ではなかったはずなので、自分より上の成績の人の多さに、息子は少なからずショックを受けていました。

このままではまずいのでは・・・。この頃から息子は自分の意思でゲームや動画視聴をスパッとやめました。私はといえば、週1回で個別に図形を見ていただけるよう手配を済ませました。早稲田中の算数は図形が特徴的で頻出問題です。息子は図形が苦手だったので、一つひとつ穴をつぶしていくことにしました。

10月中旬、日特のクラス替えがありました。この頃には各種テストの成績も緩やかに回復しており着実に力をつけている手応えがあったので、クラスアップが叶えばよいなと思っていました。
もちろんクラスが変わったからといって合格が確実になるわけでないことは承知しています。承知していますが自信を持って欲しかったし、モチベーションアップに繋がるかもしれないという思いが・・・。しかしなかがら、まさかのクラス落ち。もう後がない一番下のクラスになってしまいました。息子ははじめショックだったようでしたが、かえって火が点き、振り返ればこの頃から受験生の顔になっていったように思います。

11月になるともう、自分でその日にやるメニューを決めて取りかかっており、足りないものは何か、何をしなければいけないのかがわかっている様子でした。こちらはもう日々増えていく大量のプリント類の整理や、入試説明会への出席、そして健康管理といった裏方的な役割のみに専念。
図形は個別で補強していたものの、穴はまだまだ他の科目にもある。苦手意識のある理科にも不安があったため理科担当の先生に相談すると「今までは少しゆるい勉強をしていたのかも・・・」と、からっと言われてしまいました。全くご指摘のとおり。
先生からの「決して諦めていないし、彼は素直だから」という励ましの言葉を息子に伝える。
「過去問では最低点ぐらい取れているし、理科よりも算数の勉強に注力するように」とのお言葉。息子も先生の言葉を受け止めていました。

12月の或る土曜日、「過去問で点が取れない」「過去問が合わない」と言って泣いていました。
勉強で泣くなんて今まで一度もなかった息子・・・。親の動揺を見抜かれまいと私も必死で、でもこんな時に気の利いた言葉など無く、ただただ背中をさすってやるしかなかったのです。
息子は14時ちょっと前になると日能研に行く準備をし始め、そしていつものように塾に向かいました。
塾長に電話しようかと迷いましたが「一喜一憂してはいけない!」と思い直し、黙って帰宅を待つことに・・・。

息子はと言えば、私の心配をよそに日能研で気分転換ができた様子で明るく帰宅しました。気持ちの切り替えは子どものほうが圧倒的にうまいと、この時実感しました。
点が取れないと言っていた過去問も、よく見れば社会科の漢字指定問題を漢字で書けていなかったりと、全く手も足もでない状態ではなく、強化すべき課題が見えているのでほっとした覚えがあります。

その後も努力を重ね、12月の最後の日能研全国公開模試では、4科目で第一志望校のR4を超えることができ、それが大きな安心材料になりました。又いつしか、過去問も合格者最低点を超えるようになっており自信に繋がっていきました。

迎えた1月の入試。ここでは十分な結果を残すことが出来ました。
4校受験しましたが、受験を重ねるごとに息子の成長していく様が見て取れました。その姿から「たくましさ」を感じることが出来、親はもう子どもを信じて待つのみという心境になりました。

1月校の合格が、今までやってきた勉強の正しさを証明することとなり、2月1日の早稲田中入試本番でも自信を持って臨むことができたようです。「緊張しなかったし、決して油断せず最後まで力を出し切ることに集中した」とは本人の弁。

2日2日、この日受験する学校に息子を送り届けた足で親は早稲田中に・・・。
合格発表は10時でしたが、既に15分前には列ができていました。掲示板は遥か遠く、見るまでには相当時間がかかりそうに思い、緊張のあまり震えが来てしまいました。

10時ぴったりの発表。息子の番号を真っ先に見つけた夫の喜びの声、すぐに私も見つけることができ、その瞬間から涙が溢れてきました。

入試を終えた息子を迎えに行き、結果を聞かれたので「受かっていたよ」と伝えましした。そして自分の目で確かめさせるために、息子を連れて再び喜びの早稲田中へ。
自分の番号を見つけ、憧れの学校に受かった喜びを、しっかりかみしめている息子の姿は、本当に幸せそうでした。

息子が自分の手で掴んだ合格です。「ここまで連れてきてくれて本当にありがとう !」 という気持ちでいっぱいでした。

4年間、親も子も日能研にどっぷりと浸かっていました。日能研が好きでした。お世話になった先生方、本当にありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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