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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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最後の受験日

  • 年度:2018
  • 性別:男子
  • 執筆者:
日能研には小学2年生の末期から入塾して、3年生の初回スタートから4年間お世話になりました。
今振り返ると長くも短くも感じられます。この4年間の奮闘劇についてお話させて頂きます。挫折の繰り返しの中から最後まで諦めずに頑張り抜いた子供の成長についてご紹介させて頂きます。
私の息子は、私立小学校の受験をしたのですが、残念ながら希望する小学校へ入学する
事が出来ませんでした。泣きながら努力して頑張りましたが、希望は実りませんでした。しかし、そんな子供に、自らの力でもう一度挑戦する機会を与えたいと思っていました。

小学2年生になって、本人へ中学受験の意思を確認したところ、受験したいとあったので、親子の意識は一致したと思い、早い段階から日能研で勉強をさせる事にしました。
小学3年生のスタート時期は順調で本人も意欲があり、全国模擬テストでは平均値以上で、特に理科と社会は得意科目でした。このまま順調に勉強すれば上位校に挑戦出来ると期待がありました。
しかし、4年生になってクラス分けがあり、本人が希望するクラスに入れなかった事がきっかとなったのか、これまでの頑張る意欲が少し薄くなっていました。どうして勉強をしないのか理由を訊ねる「塾で算数の先生が嫌い」、「国語の先生は怖い」と言うので、「それは言訳だ」と問い正しました。しかし、この頃から成績は落ち始めて行きました。3年生の時は、土・日曜日は必ず私が勉強を見てあげていたのですが、4年生になって私の仕事が急に忙しくなり、休日に勉強を見てあげる事が出来なくなっていました。母親も仕事をしていたので、子供の勉強は私が見る事にしていました。しかし、明らかに親子の時間は減っていました。後になって、成績が落ちた原因は私にあると自分を責めました。そして、その後も成績は落ちて行くばかりでした。
5年生になり、何とか夏休みを利用して一つ上のクラスへ進級させようと、日能研の担任の先生に相談をしたり、日能研ユリウスの講座にも何度かお世話になりました。「何とかしなければ」と焦る気持ちが募るばかりでした。何とか子供に勉強させようと思えば思う程、勉強しなくなって行きました。いろいろ試行錯誤して考えました。科目毎に計画表を作成して、現在の課題と今後の目標を立てたり、パソコンを活用して、日能研での復習や振返り授業等の動画を見せたり、算数、理科や社会なども紙面だけでなく、立体動画等で視覚から見せる等工夫して、少しでも勉強に興味を持ってもらえるよう努力しました。子供は、興味がある事に対する習熟は驚くほど早く、パソコン操作等何も教えていないのに、数日で習熟していました。気が付くと、インターネットも上手に活用して、自分の知らない事や不明点は何でも自分で調べて閲覧確認が出来る様になっていました。マウスやキーボード操作は私よりも上手く操れると、私に自慢する程でした。それを見て、私は安堵し、やっとやる気になってくれたと思いました。そこで勉強は本人の自主性に任せる事にしました。

しかし、これが大きな間違いでした、気がついた時には、パソコンを勉強に利用するのではなく、ゲームをするための道具になっていました。その間、全くと言って良い程勉強には手が付けられていませんでした。裏切られた思いで一杯でした。直ぐにパソコンの使用は中止させたのですが、その後も私に隠れてパソコンを持ち出しては、夜遅くまでゲームに夢中になっていました。パソコンを隠しても必ず見つけ出し、これが何度も繰り返されました。努力して頑張っていると思っていただけに、大変なショックでした。

子供はいつの間にか反抗的になっていて、親に隠れてゲームばかりして、勉強をしない子供になっていました。
ある日、子供から「●○くん、△○ちゃん 受験やめるんだって」と聞かされました。
日能研で同じクラスのお友達が塾を辞めて行くと言う事をわざわざ私に伝えに来たのです。
何が言いたいのか、私はこの言葉に感情的になり、つい強い口調で「お前も辞めたいのか」と怒鳴ってしまいました。反省しました。当時、仕事が忙しく気持ちにも余裕がありませんでした。けれども、本人からの返答は「受験はやめない、続ける」とありました。本心でないと感じました。その時になって初めて子供が受験(勉強しなければならない事)に悲鳴を上げている事に気が付きました。同時に、私自身の力不足も感じて自己の無念さに打ちひしがれていました。私は「受験を諦めようか」と考えました。子供に受験を強いている親のエゴでしかないと思いました。あれこれ悩みました。しかし、子供はまだ諦めていませんでした。ここまで来て、私が諦めたら親として失格だと思いました。これ以後私は気持ち改め、これまでの事を反省し、「どのような事があって子供を信じ、怒らず忍耐して見守る事に徹しよう」と決意しました。辛い日々でした。

大好きなゲームも時間を決めてやらせるようにしました。勉強とゲームの時間を明確に区別して、自分の責任で行動するように仕向けました。しかし、相変わらず勉強よりもゲームに夢中でした。
なんとか勉強の習慣を付けさせようと考えました。自宅だと誘惑に駆られるので、塾の授業が終わった数分を利用して、算数の計算問題を毎回数題説いて帰宅させる事を担任の先生にお願いしました。ご厚意もあり、いろいろ協力して頂きました。感謝の気持ちで一杯でした。「皆があなたを応援している、だから頑張りなさい」と励ますしかありませんでした。

6年生も夏期を過ぎ、いよいよ志望校を決めないといけない時期になっていました。
しかし、成績は相変わらず伸び悩んでいました。全国模擬テストの志望校ランクも散々でした。「今の成績で行ける学校が見つけられない」私はため息ばかりでした。
「本人が希望する学校には手が届かない、どうしたら良いだろうか」焦りと迷いの日々でした。日能研での個別相談にも何度が足を運び、担任の先生からも種々アドバイスを頂きました。合格出来そうな学校からチャレンジ校まであれこれ悩んで決めました。

入塾した時の思いとは違っていましたが、いろいろ悩んで、何とか受験する学校を絞って決める事が出来ました。しかし、本人が希望する第一志望校には未だに手が届いていませんでしたが、子供を信じて受験させる事にしました。
受験校は全6校、1月初旬から2月5日まで、全7日の受験日程を組みました。
結果は、3勝4敗でした。第一志望校には2回受験しましたが、残念ながら2回とも合格出来ませんでした。

最後の受験日は2月5日、第一志望校の最終受験日でした。既に他校受験で合格した学校もあり、同校は前日の受験で不合格であったので、私は内心難しいであろうと感じていました。しかし、最後の受験日を目前に、子供の意識に大きな変化がありました。
「まだ諦めていないよ、絶対に諦めたくない、最後まで頑張る」とあり、何が何でも第一志望校に合格したいと必死になって追い込みをかけている子供の姿がそこにありました。初めて自分の意思で受験に取り組んでいる姿がありました。「わかった、全力でやってみなさい」本人の熱意に掛けてみる事にしました。
結論は不合格でしたが、結果がどうあれ、これまで頑張って来た日々が決して無駄ではなかったと確信出来た最後の受験日でした。
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