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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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受験とは・・・

  • 年度:2018
  • 性別:男子
  • 執筆者:
我が家にとって受験とは、家族の絆をより深めるものでした。
中学受験の経験がなく、手探り状態で進んだ2年間でした。家から塾が遠かったため、両親が連携プレーで送迎をしました。妹も○○(息子の名前)の塾に合わせて休日を過ごす日々で、2年だから頑張れた気がします。受験をすると決めてから、すでに第一志望は固まっていました。周囲では中学受験をしている方もいなく、息子の学校からは息子1人のみの状態でした。得る情報は塾の先生と、過去に受験を済ませている方からのみでしたので、正直不安もありました。カリテ、日能研全国公開模試の結果は、一度も安定することなく変動ばかりで、6年の秋が終わっても受験モードに入らない息子に落胆ばかり・・・。口では「俺は大丈夫~!」と何も根拠がありません。その状態で第一志望を変更しなかった我が家も今考えると???という感じでした。2年間通して一度もR4に入ることはなく、毎回再考でした。月・金を除く塾と学校の宿題に、後半は子どももだいぶ疲れていたようです。
正月の過ごし方、冬期講習はやめて過去問オンリーでいくか?ですが、毎日自宅にいて集中できるはずもなく、塾へ行き、少しでもその日にやった問題が入試につながればとの思いだけでした。
入試前日も本人はいつも通りで、親が驚くほどのマイペースぶりでした。1/10、1/11の2日、午前午後の1日コースの受験となりました。
初戦から大変ハードスケジュールです。私は仕事を休み自宅で待機していましたが、何も手につきませんでした。主人は子どもの送迎と、試験会場で待機しました(午後は別会場試験のため)。初日帰ってきてからの息子はヘトヘトで、大分緊張していた様子が分かりました。その日の手応えは、「自信がない・・・」と言いました。いつも強気発言の息子からその言葉が出てきてしまった時は、結果を見るのも怖くなりました。22:00すぎに合格の文字はなく、家族で落胆しました。その日が不合格だと、翌日の本命はほぼほぼ無理だからです。初日は1日コースでしたから塾へは行かず、「気持ちを切り替えてダメなら仕方ない!命までは取られないよ!」と何度もすでに私は諦めている応援しかできませんでした。ですが、本命が終わったらどんなことがあっても塾へ顔を出させよう!お友達や先生に会って、3回目の試験まで引きずらないで喝を入れてもらおうと決めて、2日目を送り出しました。
帰宅した息子、主人の顔は強張っており、「やっぱりダメか・・・(泣)」と思いました。でも「塾へ行くよ!」と一緒に塾へ行きました。先生は冷静に息子の悪いところを直接指摘してくださり、軌道修正をしてくださいました。帰宅後は合格発表を見ず、翌日の3回目の試験を受けさせるつもりでいました。ですが、主人は「結果は受け止めて前に進もう!」とインターネットを見ました。
大変覚えやすい息子の番号が!!!私はお風呂に入っていました。主人、子ども2人で走ってきて、「ママ!番号あった~!!!」と言いました。今思い出しても涙が出るくらい、息子と主人の涙は一生忘れられません。私は一人お風呂の中で、声を出して泣きました。
我が家は埼玉のみでしたので、結果、1/10、1/11の2日で受験を終わらせました。記念受験、お試し受験も考えましたが、息子が一言「まだ戦っている友達がいる。受けるからには本気で受けないと申し訳ないと思う。でも今の僕は本命に合格したことで大変満足しているので、本気にはなれない」と、その後の受験はしませんでした。
受験を終えて1ケ月。入学説明会が始まり、少しずつ実感が沸いてきました。ここからがスタートです。各家庭、いろいろな思いがあり、形があり、やり方があり、目指す先は第一志望合格!この2年間さまざまなことがあり、喧嘩もし、時には慰め合い、家族一丸となり一つの目標に向かって走り続けて来ました。息子の成長を夫婦で感じ取り、見ていられた時間に感謝するくらい濃い2年間でした。まだ下の子もあるので、この経験を生かして次に挑みたいと思います。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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