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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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淡々と

  • 年度:2017
  • 性別:男子
  • 執筆者:
入塾のきっかけは、本人が「祖父、父、兄の母校、慶應普通部に入りたい」と希望したからでした。
ただ、祖父、父、兄とも内部進学でしたから、我が家にとっては初めての「中学受験」。右も左も分からないとは言え、いわゆる「御三家」を目指してる訳ではないので、2年間の通塾で十分だろうと思っていたのですが、本人が「出遅れる」ことを非常に嫌がる子だったため、3年間の通塾を決めました。

入塾してすぐのカリテでは、自分の思うようにできなかったことが悔しくて涙・・・。
しかし、結果はクラス一位。そして、入塾1か月半で上のクラスへ。

ただ、このクラスは成績優秀者ばかりで、クラス順位は一気に下位へ。

ここから、親子二人三脚での辛く厳しい闘いがスタートしました。

まずは、新しいクラスに慣れることから始めました。宿題の量は前のクラスと比べて圧倒的に多く、かなりの時間をかけないと宿題が終わらない日々。それでも、弱音を吐かず頑張る息子を見ているだけでは耐えられず、カリテのふり返りは、まず、母の私が行い、単純なミスは事実だけを伝え、解き方が分かっていない問題は授業ノートを見ながらふり返り。
社会や国語の漢字ミスは教科ごとに手帳を作り、そこに記入し、テスト前にふり返りができるようにしました。

先生からは、「お母さんが手伝い過ぎています。」と言われましたが、ごくごく「普通」の息子がこのクラスに留まるためには、母親である私のサポートがないと無理だと、入試が終わった今でも感じています。

その後もクラスに留まることはできましたが、クラスでトップになることはできませんでした。クラスの男子は、算数が猛烈に得意な子が多く、どちらかと言うと算数が苦手な息子は太刀打ちできませんでした。

そして、5年の後期が、私たち親子にとって一番辛い時期でした。

入塾から手を抜かず、コツコツと勉強をしているにも関わらず、全く結果がでないどころか、クラスが1つ落ちるのではないか?と言う成績が続いたからです。
私自身、クラスを1つ落とした方が親子で楽になれるかも?と思ったこともありましたが、息子に弱気なところを見せてはいけないと、苦手な算数、特に「食塩水」と「相似」の本科教室の問題を何枚もコピーし、息子が学校に行っている間に私が授業ノートを見て、先生から教わった解法を完全に頭に入れ、息子が帰宅した後、何度も何度も解かせました。
分からないようならヒントを出して。

ここまで頑張っても結果がでないと、大人の私でも泣きたくなるような時期もありましたが、息子は淡々と頑張りました。

そして、6年に。

6年の前期になって、急に算数ができるようになりました。おそらく、息子は算数が得意な天才タイプではないけれど、この2年間で何度も何度も様々な問題を解いた積み重ねをアウトプットする時期に入ったのだと思われます。

算数ができるようになったことで、4教科の偏差値も3ほど上がりました。辛く苦しく、暗闇の中を彷徨っていた5年後期に、投げ出さず、淡々と頑張った結果が出たのだと思いました。

進路について考える時期になった時、入塾前に考えていた慶應普通部よりも、偏差値がずいぶん高くなっていたため、本人の希望もあり、麻布中を目指すことにしました。

しかし。

麻布中の過去問を初めて解いた6年秋。
唖然とするほどできない・・・。それから、また、麻布へのチャレンジが始まりました。麻布の求めている力、求めている生徒について考えながら、ひたすら過去問を解きました。

そして、試験当日。母の私は、本人の体調がよい状態でこの日を迎えられたことに感謝しました。
いつも通りなら絶対に大丈夫だと確信していたからです。本人も言葉にはしませんでしたが、かなり自信があり、平常心で試験に臨むことができたと思います。

2月3日、15時。麻布の合格発表を見た時、本人は落ち着いていましたが、母の私は涙が出ました。頑張った分だけ、結果はついてくることを実感した瞬間でした。

この先、暗闇を彷徨うことがあると思います。辛く苦しい時にも淡々と、自分の夢を見失わず、努力を続けて欲しいと思います。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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