2年前の正月に弟夫婦の家を訪問した時、その長女が前年中学受験で希望の学校に入学しており、酔いの勢いで「〇〇ちゃんも受験するー?」と言ったところ、何も知らない娘が「するー!」と答えたのが、我が家の受験の始まりだった。
当時海外在住だったため塾の選択肢が少なく、5年生になる直前に大手ではない塾に通い始め、いきなり偏差値30台を取ったのが受験生活の幕開け。
一番の問題はこれは帰国生共通であるが、帰国まで学校見学の機会が無く、目標校を持たない状況での勉強生活であったことだ。
それでも何とか日能研全国公開模試で6年生から日能研でお世話になれる成績が取れ、満を持して昨年4月に帰国。
急ぎ4校を見学し、本人が気に入った横浜雙葉と湘南白百合を本命とした。
そうやって日能研生活を開始したものの、順調には程遠い惨憺たる状況だった。
特に秋からの成績は右肩下がりで、12月最初の模試では、両校とも再考判定。
それでも娘は弱音を吐かず、毎日遅くまで机に向かっていた。
娘にとっての転機は、12月から始まった帰国枠入試だ。
その中で競争率も高く、志望校より偏差値の高い学校に合格したことが自信になったのだと思う。
それでもすぐにだらける癖は抜けず、その入試直後の最後の模試も偏差値40台。
有終の美を飾れぬまま模試は幕を閉じた。
そのような状況でも、日能研の先生には経験に裏打ちされた気合入れを何度もしていただいた。
その結果、年明け初戦かつ初の一般枠受験であった函館白百合も合格し、4連勝後の湘南白百合(帰国枠)も無事合格をいただくことが出来た。
2月1日の横浜雙葉までの約2週間半は、実践力強化のため、ほぼ毎日過去問、もしくは自作の過去問もどきを全4教科解かせた。一度も満足いく成績は取れなかったが、本番に向けての準備は出来ていたのだと思う。
試験当日、家族みんなで学校に行き、娘と別れた後、私は職場に向かった。
その後会場に残った妻から、「すごく良い表情で、『がんばったよ』と言って試験会場から戻って来た」と連絡が入った。
私はその瞬間、結果判明前であったが、感極まり涙が止まらなかった。
翌日、妻から娘の受験番号の入った合格掲示板の写真が送られてきて、連日の職場での感涙となった。
この2年間本当に家族全員つらい毎日であったし、昨秋からは到底志望校など望むべくもない成績であったが、結果6連勝だったのは、娘がゆっくりながらも知らぬ間に成長し、本番でその成長を120%発揮していたためであろうと思う。
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