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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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娘の中受オリンピック!まさか自分の身にこんなドラマが起こるとは・・・

  • 年度:2017
  • 性別:女子
  • 執筆者:
両親共に公立中学、公立高校から私立大学に進学しており、当初は中学受験など全く頭にありませんでした。
きっかけは、小学校2年生の時に試しに受けさせてみた日能研全国テストでした。周りに中学受験するご家庭が多い地域だという事も影響していたと思います。
国語が割に出来ていたので軽い気持ちで入塾しました。今思えば、ここから娘の中学受験オリンピック(新3年生の予科クラスから6年生までの4年間)が始まったのです。

4年生後半まで私(父親)は、娘のカリキュラムテストや日能研全国公開模試の結果や自宅での勉強について、全く見ていませんでした。
塾に全て任せれば良いと思っていたのです。

ある時、娘の偏差値が平均40後半だという事を知り、もう少し上げるにはどうしたら良いかと考え始めました。
そこで図書館で中学受験本を借りまくり、30冊は読みました。
その結果、親がかなりの比重で関わらなければいけない事に気付かされました。

算数がついて行けてなかったため、5年生の11月からユリウスに通わせました。もう少し早く気付けば良かったのですが、6年生の5月の日能研全国公開模試の結果で国語、特に記述を苦手としている事に気付き、自分で厳選した国語の問題集を娘とやる事にしました。
私は国語の偏差値を上げる為の本を何冊も読んで勉強し、記述力を高める為のテクニックを教えました。
それでもなかなか偏差値は上がりませんでした。ただ空欄が多かった記述問題も次第に埋める事が出来るようにはなりました。

志望校は、5年生からいくつもの学校を見た後、偏差値50後半の学校を3校決めて目標にしました。ほとんど親の意向です。最後まで偏差値は上がらず、最高でも53でしたが、国語の記述が特に苦手だったので3校のうち記述が中心の一校は6年生の5月、日能研入試問題研究特別講座の対象校を決める際に諦めました。
日能研と相談の上、受験校を次のように決めました。

・第一志望 女子校(R4偏差値58)
・第二志望 女子校(同49) 3回入試有り
・チャレンジ校1 共学校(同62)
・チャレンジ校2 女子校(同56)
・抑え校 共学校(同55 スライド合格有り)
・その他抑え校など3校
・1月お試し校 女子校(同50)

日特のクラスがある学校を第一志望にして、あまりにもついて行けないようなら、途中で日特のクラスを変える事も視野に入れていました。
しかしながら、なぜかその学校の過去問は初回から合格平均点を超え、他の年度も悪くなかったので、最後まで諦めずに続けました。
過去10年分くらいの過去問をし、過去5年分はふた回りくらいしましたが、社会、理科は比較的安定していました。
算数は7割取ることもあれば3点(一問正解)という事もあり、ギャンブルみたいなものでした。
因みに、親は出来る事は全てやろうと、湯島天神をふた回り、勤務先近くの神社三回り、亀戸天神一回りしました。(笑)

差し迫った6年生冬の日能研全国公開模試の結果を見るたび、第一志望を諦める事が頭をよぎりましたが、日能研の「親と子の栄冠ドラマ」を何度も読み返し、最後まで諦めない事の大切さを教えられ、再考する事はありませんでした。
でも日能研全国公開模試の結果は全て「再考」でした。
偏差値とは関係無く、本人が行きたい学校を決める事、そしてそこに向かって突き進む事、娘はもうその状態になっていたのです。

あっという間に1月の試し受験の時が来ました。
結果は、なんと1問差で合格出来ませんでした。問題の余白には正解が書いてあるのに、解答欄の違う場所に記入していたのです。
「ちゃんと書いていれば合格だったのにね~」と悔やみました。
この時は、この悔しさをバネに本番に向かおうと娘と自分に言い聞かせました。
本場前に合格を取れる学校をもう一校受けさせようかとも思いましたが、そこも落ちると立ち直れないと思い、本人も受けたくないというので、そのまま本番に向かう事にしました。

いよいよ本番です。2月1日は、午前中第一志望校、午後第二志望校の1回目でした。

志望校の門の前には沢山の塾の応援団が受験生を迎えていました。
7~8人の日能研の先生方の一番前に娘の大好きな先生がいらっしゃいました。先生は両手で堅く握手をしながら何やらアドバイスをしてくださいました。
娘は心強かったと思います。

第一志望校は、国語は時間が余る位出来た、算数は難しく最後の問題は空欄だったが他の子も出来てなかった。社会は日能研全国公開模試で間違えた寺子屋は書けたが卑弥呼の「こ」を「子」にしたなど微妙な感じ。出来なかったわけではなかったんだなと私は自分の都合の良い様に解釈し、微妙な気分で次の会場に向かいました。
次の会場では妻と付き添いを交代したので、妻から聞いたところ、第二志望校は国語、算数とも普通の出来とのことでした。

そして緊張の結果確認。第一志望校は夜9時にインターネットで本人が確認。

ありませんでした。

娘は悔しそうに何度も合格発表を見直していました。
3年生の妹も自分の事の様に毛布をかぶさって落ち込んでいました。娘は、朝早くから応援に来てくれた大好きな日能研の先生に申し訳ないと呟いていました。
私は、娘が大泣きしてタブレットを持ったままべッドに飛び込み、しばらくそこから動かないという最悪の事態を想定していました。
日能研全国公開模試のある科目で偏差値30台を取った時、その様になったからです。
しかし、娘はその様にはならず、意外と落ち着いている様に見えました。知らない間に精神的にも成長していたんだと思います。

第二志望校は11時発表だったので娘は明日に備えて寝かせ、親が確認しました。

ありませんでした。

予想はしていたものの、合格して喜ぶ奇跡を何度もイメージ・トレーニングしてきた私はショックを隠し切れませんでした。
ここで翌日の受験校は、受かった時に想定していたチャレンジ校1は諦め、第二志望校の2回目を受ける事にし、午後は合格を取るための抑え校を受ける事になりました。
全て想定内だったので、焦る事なく、まだ出願していなかった午後入試の学校にインターネットで出願しました。
こんな時、直前まで出願出来るインターネット出願は良いですね。でも、また福沢諭吉が何枚も飛んでゆく~。

2月2日、午前中は第二志望校の2回目、午後は抑え校を受けました。
「全部落ちるかもしれない。」当日朝、今迄一度も弱音を吐いた事のない娘が初めて弱音を吐きました。
しかし、第二志望校も行きたい学校であり、第一志望みたいなものなので、ここで受かればいいと何とか気持ちを切り替えられたようで、両校とも一応最後まで問題は解いたとの事でした。
一番心配だったのはやはり気持ちを切り替えられるかどうかというメンタルの問題でした。
本人も親もこの時は、「全落ち」が頭をよぎり、かなり不安な状態だったので、今日もダメだった時のアドバイスなどを期待して、試験終了後の帰り道に日能研に寄りました。

先生方が次々と出てきて娘に話し掛けてくれ、娘は落ち着いたようでした。
私も先生と話すことで少し落ち着き「結果を見て何かあったらいつでも連絡してください。娘さんは休ませてあげてください。」とアドバイスをもらいました。

さて、2晩目の緊張の瞬間です。結果発表は、午前中の第二志望校は夜の8時30分、午後の学校は10時30分でした。第二志望校も、本人が確認しました。

私の顔を見て「ない。」と真顔で言いました。
私は動揺し、信じたくないという気持ちから「何が無いんだ?」と聞き返しました。すると娘は持っていたタブレットを私の方に向けました。

何とそこには、タブレットの画面一杯にピンチアウト(拡大)された娘の受験番号がありました。

「おめでとう!」

妹も含め家族全員で抱き合って大喜びしました。娘は嬉しくてすぐに日能研とユリウスに電話して報告しました。

私と妻は落ちた時の様々な併願パターンで頭が酷く混乱していたのですが、これで一気に吹っ飛びました。
いままで候補に入れていなかった学校で、まだ出願出来る学校まで考え始めていたのです。そのため喜びひとしお、自然と涙が溢れました。

なにか勢い付いたのか、もう一校も合格!これで終わっても良かったのですが、翌日さらに上を目指して、チャレンジ校2を受ける事にしました。これも想定内。

チャレンジ校2は残念でしたが、本人曰く、「第一志望も第二志望も行きたい学校だから、両方第一志望だった。だから第一志望合格だよー。」とのこと。
前向きな娘には頭が下がります。そう言えば、何処かの学校の校長先生がいい事言ってたな。「受かった学校が第一志望」。

様々な心の葛藤がありましたが、やはり「娘は出来るんだ」と信じる事が大切なんだという事を実感しました。

因みに私が日能研の負けないハチマキに書いた言葉は、「自分を信じろ!君なら出来る !!」です。いや~「全落ち」を考えた自分が恥ずかすぃ~ !

これで長かった娘の中学受験オリンピックは幕を閉じました。
悲喜交々ありましたが、これだけは言えます。家族4人が一丸となって目標に向かって頑張った事、これは家族にとって非常に大切な思い出、経験となりました。
また、結果がどうあれ、受験はオリンピック同様、参加する事に意義があるんだと思います。

と、ここまで書き、投稿する予定でした。

ところが2月11日(土) 予想外の事が起こりました。オリンピックはまだ続いていたのです。

忘れもしません。
2月11日(土)は娘が行くと決めた学校の合格者説明会でした。
妻と娘が朝から参加し、体操着の採寸、入学手続き書類や宿題の受け取りをしてきました。
家族4人でランチは外食し、午後に妻と妹は妹のバレエの発表会の準備に出掛けました。私と娘は家でゆっくりとしていました。

午後4時の事です。家の電話が鳴り、妻だと思い受話器を取りました。2月3日にチャレンジした学校からでした。まさかとは思いましたが、なんと繰り上げ合格の連絡だったのです !

私は予想外の電話に少し動揺し、「どうされますか?」と聞かれ、「お時間頂けますか?」と逆に質問していました。明日位まで待ってくれるのかと思いきや、「では6時までにお願いします。」と言われました。私はすぐに大喜びすべきだったのかもしれませんが、まず娘に「受かっちゃったよ。どうする?」と投げかけながら、妻に電話し大至急家に戻る様伝え、日能研に電話して繰り上げ合格の連絡とアドバイスを求めました。行くと決めた学校と繰り上げ合格をもらった学校の特徴を伺い、「後悔してはいけないので、最後は娘さんに決めさせてあげてください。」とアドバイスいただきました。

繰り上げ合格をもらった学校は、五年の頃から視野に入れており、第一、第二志望校と同じキリスト教の明るい学校で、進学実績が良い所です。
娘も説明会は勿論、文化祭、模擬試験体験にも参加はしていましたが、過去問は解いたことがなく、湯島天神でも絵馬には書かず(笑)、しかも偏差値が10位上だったので文字通りチャレンジでした。

2時間以内に答えを出さなければいけない。様々な事が頭の中を巡りました。入学金払ってるし、行くと納得した後だったし、繰り上げで入っても付いて行けるか心配だし、交通の便があまり良くないし、などのネガティブな部分と、お金の事は関係無い、高いレベルなら娘のレベルも上がるはず、通学は慣れれば大丈夫、昨年のNフレンズで話を聞いたこの学校の2人の生徒は2人共第一志望ではなかったが今は気に入っていると言っていた、などのポジティブな部分が交錯し、中々纏まりませんでした。
もう捨てようと思い、ダンボール一杯に詰め込んでいた学校の説明会の資料やパンフレットの中からこの学校の物を拾い出し、MY NICHINOKENなどインターネットでも情報を手当たり次第集め、物凄いスピードで見返しました。

そんな時妻が「兎に角今から学校を見に行こう!」と言ったのです。
私は見に行って何か変わるかどうか半信半疑でしたが、残された時間をじっとしている訳にもいかず家族で行く事にしました。
車を出し、後5分で到着と言う時には期限の6時まで後15分でした。
痺れを切らした娘はもう決めたから電話して欲しいと言いました。
娘は「そもそも受かっていたらそっち(チャレンジ校2)に行きたかった。」と言っていましたが、偏差値が高い方に行くというプライドもあったのではと思います。
親子納得した上で、妻が電話しようとしましたが、5時以降の場合はこちらに掛けてくださいと言われていた電話番号のメモが見当たりません。妻も焦っていたんでしょう。
私は思わず「頼むよ~。メモがないと終わりだよ~。」とイライラして言ってしまいました。
「あった !」妻はメモを見つけ電話しました。「そちらに行かせていだたく事に決めました。実は今近くに来ています。」と言うと、「それではお渡ししたいものがありますので来て頂けますか?」となり、外から見るだけのつもりが、プチ説明会になってしまいました。
辺りはすっかり暗くなっていました。

このチャレンジ校2も今日が合格者説明会だった様で、教頭先生と中1を担当する若い先生のお二人が、合格者説明会の資料を一通り説明してくださいました。
これで妻と娘は1日で二校の合格者説明会に行った事になります。あとは月曜に入学金を納入したら確定です。

翌朝の日曜日、頭を冷やしてから、再度娘に入学の意志を確認しました。
娘は心を決めたようで、早速、昨日いだたいた宿題を始めていました。
「入試前もこれ位エンジンがかかっていればなぁ~。」と思いましたが、それを見て安心し、娘に伝えました。「また金メダルが一つ増えたね !」

本当に何が起こるか分からない中学受験、親子共々大変良い経験をさせていただきました。

学んだ事を纏めます。

・兎に角多くの学校を見て志望校を決める。
 そのためには四年生から文化祭などに参加する。第一志望の偏差値は度外視。最悪の事態(全落ち)回避の為、幅広い偏差値で志望校を複数選んでおく必要がある。
・子供の実力を信じ、1%でも可能性があればチャレンジし最後まで諦めない。
 もちろん充分な納得のいく併願作戦は必要。
・「早寝、早起き、朝ごはん」は、出来るに越したことはないが、出来なくても大丈夫。
 うちは最後までどれも出来ませんでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。
体験記はこれで本当に終わりです。娘の未来は、これからが始まりです。この体験談が次の受験生、保護者様の励みになる事を祈っております。

応援いただいた日能研、ユリウスの先生方に感謝いたします。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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