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親と子の栄冠ドラマ -中学入試体験記-

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  • 年度:2016
  • 性別:男子
  • 執筆者:
我が家のやり方が良かったのか悪かったのか受験が終わった今でもわかりません。

母子家庭の我が家、3年生の時から「勉強の習慣を身につけ、勉強の仕方」を学ぶ為に通塾を開始しました。
受験の為という考えではありませんでした。
男の子なので、公立でしっかりもまれて欲しいという考えもありました。(幼・小と私立に通っていた為)。
ですが、まわりの子達が受験を意識し、本人も「受験する」と言い出しました。
何度も2人で話し合いました。「母子家庭である事」「受験は想像以上にきびしいという事」
「公立でもまれて欲しい」等々。
でも本人は「受験したい」とゆずりません。
であれば「自分が決めた受験、妥協は許さない。結果を出しなさい。どんなにつらくても逃げるな。」と。
結果より過程が大事だという事はわかっています。もちろん本人にもそれを伝えたかった。
でも、母子家庭の我が家に余裕はなく、親のエゴなのかもしれませんが、
「合格してもらわないとやりきれない」との思いが強かったです。
常にRクラスだった我が子は、いつまでたっても本気モードにならず、
ついに夏休み明けA3クラスに下がってしまいました。
担当の先生とも話し合い、「本人がやる気を起こすチャンスになれば」という思いもあり、A3で再スタートです。

しかし、秋になってもスイッチは入らず・・・。塾から帰ってくる時に寄り道をしたり、
テストのふり返りもしなかったり、本当にやる気のない我が子に
「自分が決めた受験なのに、何をやっているの?もう受験なんてしなくていい!」と何度も激怒し、
涙を流しました。
塾に何度も足を運び、遅くまで面談をしていただき・・・。本当に情けなかったと今でも思います。
先生は「冬休みにスイッチが入る子もいます」と言って下さっていましたが、成績は下がる一方、
すべり止めとしていた学校も危うい状態となりました。
その時はさすがに先生もあせっていらっしゃったと思います。
12月中旬に急きょ「栄東、東Ⅰ」を受ける事にしました。
「不合格を味わって、くやしい思いをさせる」為にです。
普通なら合格を味わって、安心感をもって第一志望に臨む所でしょうが、我が家は逆です。
その位、切羽詰まっていたのです。

話は11月に戻ります。11月中旬に急に我が子が「東邦大東邦も受ける」と言い出しました。
先生とも「この期に及んで何を言っているのだろうか」と目が点になりました。
それまで本人の第一志望は「渋幕」、次に「芝」だったのですが、
渋幕の土曜講座は受講できず、芝の日特を受講していました。
先生も半分あきれていらっしゃいましたが、「東邦は標準的な問題だから」とアドバイスして下さいました。
私の中では、本人が受験したいと言っているのだから、それで良い。
不合格になって、自分の甘さに気付いてくれれば良しとしよう。と思う事としました。
ただ、願書提出はぎりぎりにしました。
「あなたが本気にならない限り、願書は出さない。記念受験できる程余裕はない。合格もできない所なんて受けなくて良い!」と。

年が明け、早々に栄東Aの試験日となりました。
当日は上野駅にたくさんの受験生がおり、正直、私の方があせってしまいました。
想像を超える子供達の真剣な表情。その空気に私が飲まれてしまいました。
我が子はというと、緊張もせず、いつもとなにもかわらない状態。メンタルの強さを感じました。
終了後も淡々と「まあ、ふつうかな。ミスはしたけど。」と。自己分析もできていました。
A日程で、受験という異様な緊張感を経験し、東Ⅰは、親子共々というより、
私自身が安心して臨む事が出来ました。
無事両方とも合格を頂いた時は、本人は「よかったー。本当に合格できた。」と、安心していました。
でも、当初の目的の「不合格を味わい危機感をもたせる」作戦は失敗です。
その後、千葉受験、「東邦東邦」では社会の出来が悪く、本人は「やばい」と初めて思ったようです。
ですが無事合格。
そして本人の第一志望「渋幕」ここに関しては私は、「受かるはずがない」と思っていたので、緊張もせず、でも、もちろん子どもには「全ての力を出してきなさい。あなたが決めた受験、あなたの1年間の結果が出ます。あなたが一生懸命やってきていたのなら合格できるはず。色々あったけど、頑張っていたのは事実だから絶対大丈夫」と送り出しました。出来については特に話さず「芝」に向けてがんばろうと。

翌日、東邦の発表。インターネットで合格を確認し、2人で書類を受けとりに行きました。
「明日合格できてたら、もう受験はおわりだね」とようやくほっとしました。
渋幕の発表は日曜日、「芝」の日特に行く我が子。1人でインターネットの発表を確認しました。
10時よりも早く公開されるとの事だったので、9:30に確認すると、我が子の番号をみつける事が出来ました。
それでも信じられず、兄嫁にラインで写メを送り、まちがいないと確信、塾に電話しました。
先生も驚かれていました。「合格ですか! 大金星です!!」と。
先生が驚かれるのも無理はありません。模試の結果は常に「志望校再考」状態でしたから。
これで我が家の受験も無事終了かと思いましたが、「芝」まで受けることにしました。
私の中で、「芝」に行って欲しい、という気持ちが強かったからです。
日特から帰宅した我が子に「芝も受けるよね」と聞くと「もちろん受ける」との返事。安心しました。

そして2月1日の芝受験当日。本人は「渋幕に行ける!」と気持ちも軽やかに、会場に入っていきました。
私もおちついていました。近くの幸稲荷におまいりをしたりして、終了時間まですごしていました。
翌日、子供は小学校へ、私は合格発表会場へ。
これまで受験した学校は、自宅で確認出来たので良かったのですが、芝は会場のみです。
本当にドキドキしました。
無事に我が子の番号をみつけ、書類をうけとりに行きました。
帰宅した我が子に合格を伝えると、「よかった。結果出せたね。やっぱり受験は楽しんだ者勝ちだね」と。
そうなんだ、この子は楽しんでいたんだ、とようやく私の力が抜けた瞬間でした。
「芝」の合格をいただき、我が家の受験は無事終了。
5戦5勝。最初に我が子に言った「結果を出しなさい」という私の言葉に、しっかり応えてくれた我が子。
再度、どの中学に行くのか自分で決めなさい。と言うと、
「渋幕に決まっているでしょ。4年の時から行くと決めていたのだから」と。
子どもは親が思っている以上にしっかりしているのだなと実感した瞬間でした。

私は他の親御さんのように、やさしいサポートはほとんどしませんでした。
手伝った事は過去問のコピーくらいです。全て本人にさせていました。
もしかするともっと私が手をかけていればもっと楽に受験できていたのかもしれません。
でも、我が子は本当に自分の力で合格を勝ち取りました。
もちろん見えない所で、先生方の手厚いサポートがあったからこそです。
先生と子どもを信頼し、まかせる手。「あれはやったの? これは? 宿題はやったの?」なんて言うだけムダとは言いませんが、我が子に関しては必要なかったのかもしれません。
勉強に関して、「自分で決めた事だから」と突き放し、手をあまりかけなかった我が家のやり方が正しいとは思いませんが、「本人の力」を信じる手、それが一番大切なのかもしれないと1回も開いていない過去問集を見ながらこれを書いています。

先生方、本当にありがとうございました。
最後まで心配をおかけしましたが、本当に感謝しております。ありがとうございました。
今後も寄せられたドラマを、各カテゴリーに随時アップしていきます。
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