
開成中の国語におけるアドミッション・ポリシーを聞いてみました。
「場面を想像し、正しく言葉をつなげられるかどうかを試した」
出題の意図を教えてください。
葛西先生 この問題は、言葉について立ち止まって考えられる子を拾い出せる問題を作りたいなと思って作りました。国語の力というのは、1つは論理性、1つは想像力、ではないかなと思っています。この問題は問1から問3まであるのですが、問1となるこの問題では、いわゆる統語論(シンタックス)ですね。文法的に音便化ができるかどうか、論理性を見させてもらいました。ただしシンタックスが合っているからといって、言葉には語用論の面が出てくるわけで、使っていい場面、いけない場面、そういうものを想像できるかどうかも試してみたつもりです。
国語科主任/葛西 太郎先生
「言葉と向き合い、柔軟に考えてほしかった」
一見、古風な感じのする問題だと思うのですが。
葛西先生 それはどちらかというと本位ではありません。古い言葉の中にも「ございます」がつかないものはたくさんありますし、「せこい」「やばい」も、そんなに新しい言葉ではありません。例えば「やぼうございます」などは、今の段階では語用論としてよくないだろうけれども、将来的には市民権を得る可能性があると思っています。
うちには「ら抜き言葉推進」という、立場もあると考えている教員もいます。それは、ら抜き言葉は正しい言葉の変化ではないかというふうにとらえるところから始まっていて。ら抜き言葉がダメなら、可能動詞もダメだろうなどと考えていろいろと使ってみるわけですね。生徒にもわざと「信じれねえ」とか「考えれねえ」などと言ってみるわけです。そうすると「食べれない」「見れない」などは違和感がないけれど、「信じれねえ」には違和感があることがわかります。それはなぜかと考えると、言葉の本質に迫れるわけです。
要は、ら抜き言葉がダメだとか、やばいという言葉がダメだとか、固定的に考えているわけではないのです。それは保守的とか、そういう感じではないと思います。他人を非難する言葉だから「ございます」がつかないというのも、部分的には間違っていると思うんですよ。「言い訳は見苦しゅうございます」とか「旦那様、それははしたのうございます」など、例をたくさん考えまして。「親分、そのやり方はせこうございます」などというのがありうるのか、ないのか、いや、それはダメだろうと。でも、「さむうございます」や「まずうございます」はある。うまくないという時に使うこともあると思うので、批判するからダメだということは当たらないと思うんですね。固定的ではなくて、いろいろな場面を考えて答えに迫ってほしいという思いがあって、出題に至ったわけです。
「大人が思うほどできていない、難しい問題」
正答率はいかがでしたか。
清水先生 塾の生徒さんに、この問題をチャレンジさせてみることがあると思うのですが、その時に「えっ、こんなにできないの?」「もっとできると思ったんだけど」と思われると思います。そういうところの意外感だとご理解いただければと思います。
問題を持ち帰らせていますから、おそらくご家庭でも、食事の時や、お風呂に入っている時などに、「国語のあの問題、解けたのか」とお父さんから聞かれて、「お前、そんなことを書いたのか」「さむうございます、くらい言うだろう」と。ご家庭でも「うちの子は『さむうございます』ができなかったのか」という驚きがあったのではないかと思います。
要は、大人が思っているほどできていない。ものを読ませたり何かさせたりすると結構できる子たちでも、普段使っている言葉への感覚というのはそれほど確固たる形で確立されていない、ある意味発達過程なのかもしれませんし、悪くいえばスキがあるということなんでしょうけれども、十分ではないところが少し見えたかなと思います。
葛西先生 いろいろな次元の間違いはありますね。そもそも設問の意図がつかめない子もいました。機械的に「ございます」をつければいいのに、なにを迷ったか、間に言葉を挟んで丁寧にしてしまった子もいれば、音便化ができなかった子もいました。
例えば「めでとうございます」を「おめでとうございます」と書いたら×なんでしょうか。
葛西先生 そういう細かいことは申し上げにくいのですが、私どもの入試スタンスとして、読めている子、書けている子、考えている子を評価したいというのがありますので、ちょっとした間違いで減点したりというのは基本スタンスではないですね。
国語科(前主任)/清水 悦男先生
「例年、国語は受験生が思っているよりも点は出ていない」
普段こういう言葉を使ったり、耳にしていないと、難しい問題ですよね。
葛西先生 そうなんですよね。「おはようございます」などを思い出してもらうと、「あれもそうなんだ。なるほどね。『早く』に『ございます』がついたんだな」と。「おめでとうございます」もそう。『めでたい』に『ございます』がついたんだなと。誘導的な配慮はしてあるのですが、そういう言葉を聞いたことのある子とない子では違うでしょうね。
合格した生徒、何人かに聞くと、みんな自分はできていると思っているから「(あの問題は)簡単だった」と言うのですが、子どもが思っているほどやさしくはなかったと思います。国語は例年そうだと思うんですよね。受験生が思っているよりも点は出ていないと思います。採点していて、この子は〇をもらえるつもりで書いているのかなと、いうのがありますから。
問3の理由を書かせる問題も難しかったのでは?
葛西先生 問3は少し難しいかもしれないと思って出しました。自分の言葉を使わざるを得ないので、そういう部分では多少難度が上がるのではないかと思いました。
悪い評価が必ずしも使えないということではありません。いずれ教員の作った解答例が10月の学園説明会の時に出ますので、それをご参考いただければと思うのですが…。
『ございます』という、丁寧に言うべき場で言っているという前提です。小学生には難しいと思うのですが、卑俗であるとか、下品であるとか、その言葉がその場に対してどういう傾きをもった働きをするか。その傾きを示す言葉というのが必要になってくるのかなと。マイナスの評価を表す言葉でも、丁寧な場で使える言葉はあるわけで…。やはり品がないということでしょうかね。もちろん、これだけが正解というわけではないですけれども。
先生が今、おっしゃったような意味合いのことを、自分の言葉で表現するということですね。
葛西先生 そうですね。小学生らしい言葉でいいので、自分の言葉で表現してほしいです。
「入試では読んで、考えられて、自分なりに表現できるかを問いたい」
国語の出題全体に話を広げて、お話を伺いたいのですが。大切にしていることを教えてください。
清水先生 まず、よく読めて自分で考えられるかどうか。それは感受性の問題ですね。要するに受け止められて、判断できて、さらにそれを変えて表現できるかどうか。国語の勉強にはだいたいそういうものが絡んできますので、そこが小学生なりに展開できるかどうかというところを中核に出題しています。
ただ、教員は6年間、大学入試までのローテーションをしていますので、興味や突っ込みの度合いというものが多種多様なんです。「こういう部分での、この少年の心情を読ませたいんだよ」という方もいれば、「文法的な側面がきちんとできているかどうかを見たいんだよ」という方もいる。あるいは「漢字はしっかり書けてほしい」という考え方をする人もいれば、「いやいや、物事というのは多様なる知識なり背景なりを知っていてこそ受け止められるのだから、そこが大切なんだよ」という考え方をする方もいる。教えているものや考え方によって、ポジションの違いがなんとなくあるんですね。入試問題はそういうさまざまな教員の持ち寄りになりますから、先ほどの方向性からは出ないけれども、話し合いをする中で種々確認して残されて、生かされて、全体が融合されて1つの試験問題が出来上がるわけで…。うちの問題が変にこだわっていたりとか、書かせることだけをすればいいとか、長文を読ませればいいとか。そういうかたちでできているのではないということをご理解いただければと思います。
「人の話が聞ける、自分で考える、表現できる力が求められる学校」
国語科の先生方のいろいろな問題意識が集まって、多様性のあるところが開成の入試問題の特徴かもしれないですね。
清水先生 それなりに激しいやりとりをしていますので。それなりのかたちになっているとは思っているのですが。
葛西先生 激しいやりとりというのが、うちの本質なのかなと思います。人の話が聞ける、自分で考える、表現できるというのが、生徒にも教員にも求められていて、ぶつかり合えるのがうちのよさなのかなと、なんとなくですが思っています。先輩の教員同士で罵倒しあうのを見ていると、「ああ、いいな」と。我々も罵倒し合いましたけど(笑)。
遠慮しないで議論を突き詰めていける環境なんですね。
葛西先生 それをよしとするというところはあると思います。譲らないですから、みんな(笑)それがやはりコミュニケーション力というか、とても大事なことで、無意識のうちに入試問題の中でも求めているのかもしれないですね。
清水先生 例えば数学のように、真理が一つで、これしかなければぶつかり合うことはないですよね。国語の場合、そういうのとは少し違って、どういうかたちでものを見てきたか、見ていくのか。考え方によって答えも変わってくるので。当然のことながらそこにはぶつかり合いが発生するわけです。こういうかたちでも考えられるのではないかということを、広くお互いに意識していくことができるので、ぶつかり合うことは決して悪いことではないと思っています。
インタビュー 1/3

1871(明治4)年、幕末の先覚者・佐野鼎が共立学校を創立。高橋是清が初代校長としてその意志を継ぐ。当初は東大予備門に入学するための学校であった。95年、校名を開成中学校と変更。これは易経の「開物成務」に由来する。1960(昭和35)年から、高校の募集を開始した。
新しい時代を切り開く創造性のある思考力を育成するため、真理を探求する自由と質実剛健を柱とする。校章(「ペンは剣より強し」を図案化)は、いかなる暴力にも屈しない深い知性を身につけるため学問をする姿勢を表現したもの。東大合格者数日本一が目立ち、勉強だけの学校と思われがちだが、生徒の自主性を重んじ、自らを律する自覚と責任感を養成する堅実な学校。
西日暮里駅から徒歩1分。上野公園に続く緑あふれる環境に位置する。コンピュータ教室をはじめとする特別教室、視聴覚教室、可動式席の講堂兼小体育館、天体観測ドームなど、施設は非常に充実している。グラウンドも2面あり、広さも十分。図書館には約5万冊の蔵書をもつ。中学生は放課後のみ食堂利用可。
生徒の自主性を尊重したカリキュラムで、各先生が独自の教材、授業内容を展開。1クラス約43名、1学年7クラス編成。進度は速く予習・復習は欠かせない。国語は、中2から古文、中3で古文と漢文を系統的に学習。数学も中1から数A(代数)・数B(幾何)と分けて指導。中学の英会話は1クラスを2分割。高校ではコース分けをせず数・社・理は大幅な科目選択ができるシステムだ。高入生とは高2から混合。高校では夏・冬休みに大学受験用の講習を実施。
学校生活は生徒主体の原則が貫かれている。学校行事では、「肉弾あいうつ」激しい運動会(5月)が有名で、文化祭(9月)、開成マラソン、ボートレース(対筑波大附属高)白いふんどしで泳ぐ伝統の水泳学校、希望制のスキー学校など実に多彩。バスケットボール、バレーボール、柔道部など67のクラブ・同好会があり、中1から高3までが一部を除き合同で活動。定期演奏会を重ねる管弦楽もクラブの花形で文化祭でも人気が高い。